きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

私の体罰体験記

 これは私がまだ高校二年生だった頃の話である。

 

 当時、私はヨット部で活動をしていた。

 高校一年生の頃に入部して以来、運動嫌いの私としては珍しく、それなりに上手く活動をこなせていた。

 二年生の始め、新しく高校に赴任してきた教師が、ヨット部の顧問として新しく加盟することになった。

 それがYである。

 YはS大学出身で、大学生の頃はヨットをやっていたらしい。

 彼は私たちと共に筋トレや走り込みをするなど、真面目な教師であった。

 最初は、部員の皆でYのことを歓迎していた。

 

 なぜかヨットに乗り込むと、人格が豹変する人が時々いる。それが何故だかはわからない。

 Yもこのタイプの人間だった。

 普段は真面目で柔和な性格だが、ヨットを操舵するときは気性が荒くなるのだ。

 

 ある日、同じヨット部員であるUが、Yに船上で暴力を振るわれたという話をふと漏らした。どうやら、ミスをした際にそれなりの力で頭を叩かれたらしい。

 私たち二年生はまだ操舵の練習中だったので、些細なミスをすることは多々あった。

 それゆえ、幼少期からのヨット経験者や顧問と二人乗りになって、彼らから教授を受けるというのが、私の所属していた部活での慣習だった。

 これまで、先輩や顧問に自分たちの誰かが暴力を振るわれたという話は聞いたことがなかった。

 

 そのうち、私にもYと共にヨットに乗って練習する日がやってきた。

 初めは順調だったが、徐々に私の動きに粗が見えると、彼は明らかに機嫌を損ねたような態度をした。

 しばらくして、船の方角を変えるターンを行った時、私とYのタイミングがズレてしまった。

 その瞬間、突如として彼は激昂し、私の胸グラを掴んで船の支柱へと体を叩きつけた。

 Yは何か叫んでいたが、それとは対照的に、私は心の底から冷めきっていた。

 

 私はそのうち、ヨット部を辞めた。

 建前上は「勉学のため」の行動であったが、実際はYによる体罰が部内に横行し始めていたことが原因だった。

 いつしか、Yは部内で陰口を叩かれるようになっていた。

 私は何も言わなかった。ただ、静かに部活を去った。

 

 教育者による暴力的な行為は生徒を破壊する。

 この出来事は、私の記憶にべったりとこびり付いている。楽しい出来事の方が当時は多かったはずだが、ヨット部のことを思い出す時、必ずこの出来事が始めに思い浮かぶ

 体罰に関わる記憶を、半永久的に悲劇的なものにするということが、体罰の恐ろしいところだ。

 彼は良かれと思ってこのような行為に至ったのだろうか。もはや、Yの意図など関係なく、私が部活を辞めたという事実が残るのみである。

 

 もしも、私が体罰に耐え部活を続けていれば、インターハイに出場できたということもあったかもしれない。そして、Yに後々感謝するということもあったかもしれない。

 だが、少なくとも現在の私は、その「もしも」を絶対に認めない。

 「愚かだ」と断言する。

 体罰による教育で誰かが成功したとしても、それは本人の資質のおかげであり、体罰のおかげではない。

 そうなのにも関わらず、体罰を行なった教育者は必ず体罰を肯定するだろう。これこそが成功への方程式だと。

 この善意の暴力こそが、私の最も恐れるものだ。

 

 現在、私がかつていたヨット部はインターハイで準優勝をするなど、輝かしい成績を収めている。

 それは、決してYのおかげではなく、アジア大会で優勝したという経歴を持つ才気溢れる生徒が入部してきたからだ。

 彼の八面六臂の活躍で、ヨット部の成績は保たれている。

 だが、Yは慢心するだろう。

 才能ある彼が卒業し、高校からの初心者で構成されたヨット部に再び戻った時が、その時の部員にとって最も危険な時期になるだろう。

 

 私を含む部員3人が、Yが顧問になってから部活から去ったという事実は、時間がどれほど経ったとしても、決して消えない。

 もはや、Yの動向を知るすべはない。大事件が起きないように祈るばかりだ。