きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:残像

6/10 晴れ 

 梅雨入りしたが、二日続けて晴れている。相変わらず暑い。

6月も、あっという間に三分の一が終わってしまった。夏は長いようで短い。為すべきことは為せているだろうか。

まさに「曾子曰く、吾日に我が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」である。風呂場で自問自答する日々。

 

 ある少女の話をしようと思う。彼女は私の人生のある一時期で、とても大切な友人だった。今でも、夏が来るたびに彼女のことを思い出す。

 

 彼女に初めて会ったのは四年前、私が高校一年生の頃の初夏だった。

 ある日の登校途中、朝の電車で中学校の頃の友人に会った。友人は、府内の偏差値の高いO高校に通っていた。そんな彼の隣に、彼女がいたのだ。

 ミディアムヘアの艶のある黒髪に、陳腐な表現だが、陶磁器のような白い肌。初めて見たときから、紛うことない美人だと思った。どうやら、彼女は友人とO高校で知り合ったらしい。

 当時、男子校に染まりつつあり、女子へのコミュニケーション・スキルが減退していた私にとっては、初対面の時、彼女をとても手強い相手だと感じたものだ。

 結局、そんな当初の不安は杞憂に終わった。彼女のコミュニケーション・スキルが優れていたおかげか、それとも友人のそれも優秀だったおかげか、私はすぐに彼女と仲良くなった。

 その日から、携帯をいじるか、他愛のない話を友人とするしかなかった私の登校は、とても華やかなものになった。今振り返れば、あの朝の時間のおかげで、男に囲まれ腐りきることもなく、それなりに楽しい時間が過ごせていたんだと思う。

 

 誰もがそうであるように、高校生の時間というのは直ぐに過ぎ去ってしまう。息つく暇もなく、私たちは高校二年生になった。

 そのうち、文理選択の時期がやってきた。彼女や友人は、さも当然かのように、理系を選択した。二人とも、進学校に通っているからか、とても頭が良かったのだ。

 かくいう私は、学期末テストで学年最下位の成績をマークしたところだった。良いのは国語の成績だけで、数学はおろか、化学や物理といった主要な理系教科は、思わず目を覆うほどのひどい成績だった。

 「いい加減勉強すればいいのに」と、二人やその他諸々の友人にも言われたが、とにかく勉強するやる気が起きなかった。

 「君たちは勉強をすることに何の苦痛も抱かないんだろうが、俺はとにかく辛いんだ! そうじゃねえと受験に落ちて私立になんか来ねえよ!」とつくづく思ったものだ。今でもそう思っている。

 結局、私立専願に身を落とすことを良しとしなかった私は、理系を選択した。二人の影響なのか、つまらぬプライドの所以か、もしくはその両方のせいだろう。後々、指定校推薦に全敗した私は受験期に突然文転するのだが、それはまた別のお話。

 落第を避けるため、勉学による激痛に身を悶えながら、その頃から二人曰く「最低限」の勉強を始めた。朝、彼女や友人に会えば、彼らは親切に確率やモル濃度の計算について教えてくれた。教えることが最高の勉強法だと、二人は熟知していたのだ。

 彼女は京都大学の理学部志望、友人は医学部志望だった。目指している場所がまるで違った。それでも、二人にいつかは追いつきたいと、ぼんやりと私は考えていた。

 

 別れはいつも突然に訪れる。友人に、彼女が亡くなったということを伝えられた。交通事故らしい。彼女と出会ってから、ちょうど一年経った頃だった。

 明るかった友人は、しばらく口数がめっきり減ってしまった。

 私はその事実を受け入られられなかったのか、悲しくはならなかった。あまりにも突然のことだったので、彼女がいなくなってしまったという実感が湧かなかったのだ。呆けたように、登校する日々が続いた。

 学校では意識しなくても、平常のように過ごせた。悲しさを感じられない自分に腹が立ったりもした。それでも、涙は一滴もこぼれなかったし、悲しい気持ちになることもなかった。

 時間はあっという間に過ぎて、夏休みが始まった。私は出席できなかったが、その頃には彼女の葬式も、お別れ式も全てが終わった後だった。

 

 すぐに夏休み中の夏期講習が始まった。忙しさからか、彼女のことが頭から抜け落ちることも多くなっていた。

 そんなある日、友人に電車の中で会った。彼もその頃には、幾分元気を取り戻していた。

 彼との会話の最中、自然な形で、彼女のことに関する話になった。友人は私の知らない彼女の生前のエピソードを語ってくれた。

 料理が下手で、バレンタインのチョコレートは全て購入したものにしているということ。

 極度の方向音痴で、課外学習の時に一人迷子になったということ。

 運動神経が悪くて、サッカーのリフティングが3回しかできないということ。

 私にそれらのことを秘密にするように、友人に頼んでいたということ。

 彼女が、私に一定の好意を抱いていたということ。

 どのエピソードも、私にとっては意外なものだった。

 思わず、彼女の「今の場所」を訪ねる言葉が、口をついて出た。友人が教えてくれたのは、H市の大きな霊園だった。

 

 次の休日、私はそこへ赴いた。友人に教えられた場所を大きな看板で発見して、無事辿り着くことができたのを覚えている。

 自分の他に人がいない、静かな緑に囲まれた霊園だった。

 そのうち、彼女の名字が刻まれた、綺麗なお墓を見つけた。訪ねる人は多いのか、多くの花が手向けられていた。

 ふと、暮石の側面に、刻まれたばかりの彼女の名前を見つけた。

 私はしゃがみこんだ。不意に、人差し指がその名前を撫でた。

 その時、とめどない悲しみが私の胸を打った。悲しみは濁流のように押し寄せてきた。嗚咽が止まらなかった。

 ようやく、彼女がいなくなってしまったことを、私は理解したのだった。

 

 今でも、彼女のことを思い返すことがある。駅のホームで、木々の合間に、夏の透き通った空に、彼女の面影を垣間見る。

 友人とは、今でも時々会っている。医師資格の獲得に向け、日々精進しているようだ。

 かくいう私も、無事大学生になることができた。最近は、二人に追いつけるような算段もついてきた。これも二人のおかげなのかもしれない。

 彼女は、もう友人とも、私とも会うことができない。

 でも、もし、彼女と会うことができたのなら、「また会ったね」と気軽に声を掛け合うことのできる仲でありたいものだ。

 だから、「また会おうね」と、今は別れの声を掛けておこう。

 私が見ていたのは、あまりにも世界を早く駆け抜けた、彼女の残像だったのかもしれないのだから。