12/30 曇り
2018年も残り少しだ。
年末特有の浮かれた雰囲気が町中に漂っているが、私の心中はそれとは反対に沈んでいる。
ツイッターで才能ある同級生や年下の活躍を見ていると、何だか無性にむかむかしてきたのだ。
まあ、いつもの嫉妬である。
こういう気分の時は、昔の恥ずかしい出来事をやたらと思い出してしまう。
うまくコントロールできるようになれればよいのだが、なかなか止まらない。
ほとんどが取るに足らない出来事だとは思うが、大掃除にちなんで、ここにそういった思い出をすべて掃き出してしまおうと思う。
私の最初の『恥ずかしい』という記憶は、曾祖母が亡くなった時のことである。
私や妹、両親や祖父祖母は、幸運か不幸か、曾祖母の命の火が消える瞬間に立ち会うことができた。
当時、私は小学4年生で、物の分別もわきまえない碌でもない子供だった。
オシログラフがついに静まり返り、単調な音が鳴り響く病室。
あろうことか、私は曾祖母が亡くなろうとしているその時、愚かにも「ひいばあちゃん、どうなったん!?」と好奇心をむき出しにして両親に尋ねてしまったのだ。
誰もがみな、目を伏せていた。
静粛なる空間で、私はただ一人目を輝かせていた。
この異常さに気が付いたのは、私が中学生になってからだった。
曾祖母の晩節を汚してしまった罪悪感と恥ずかしさは、今も私の頭の中で反芻されている。
過去には戻れない。
取り返しがつかないので、余計に心が苛まれる。
思えば、私は昔から空気が読めなかった。
調子に乗り過ぎて誰かに嫌な思いをさせる、ということは二十歳になった今でも続いている。
「普段人からボロカス言われているのに、調子に乗りすぎることすら許されないのか!」という不平感と、申し訳なさがごちゃまぜになっている。
しかし、やめられないんだ、これが。
のっぺりとした会話を続けることが退屈なので、無理やりにでも事実の棘だったり、道徳的ジレンマへの挑戦だったりを生み出そうとしてしまう。
偽悪的であることは分かっているのだが、なかなか……
私がこれまで調子に乗った場面で一番印象深いのは、中学三年生の修学旅行の時だろうか。
カヤックに乗って川下りをしていた私は、そこそこかわいい女子に調子に乗ってひたすらちょっかいをかけていた。
あまりのしつこさに、彼女はあまりの嫌悪に目を細めて私を注意した。
脊髄まで凍てつくような、緊張の瞬間。
そんな時すら、私は痺れるような背徳感に酔いしれていた。
今振り返れば「なんだコイツは」と自分でも思うのだが、これに共通するような行いは、大学生になった今でもしてしまっていると思う。
理解していてなお、止められない。
矯正していかねば。
恋愛においても、恥ずかしい思い出は多い。
中学生の頃は、周囲から「金こんにゃくって○○のことが好きなんちゃう?」と聞かれすぎた結果、本当にその子のことを好きになった、と錯覚してしまうイベントが起こった。
中学生のサルのような性欲に起因する、生化学的トリックのなせる業である。
その他にも、ネット恋愛をしていた時、彼女との深夜のラインのやり取りに疲れて、彼女から逃げ出すためにネットを一時的に止めたりもした。
流石に情けなさすぎである。
一年ほど後、ネット元彼女には全力で謝った、ラインで。
今は相手方も、このことを許してくれている(らしい)。
ついでに、私は今もこの時のことを思い出すと、あまりの恥ずかしさとどうしようもなさに暴れそうになってしまう。
曾祖母の時と違い、取り返しがついたのがせめてもの救いだろうか。
恋愛面では大学に入学してからも、しょっちゅう恥ずかしい思いをしてきた。
なぜいつも私はこうなのだろうか、と嫌になってくる。
つらい。
こんなところに現在進行形の話題を書き残しておいて大丈夫なのだろうか。
まぁ、大丈夫か。
自分の頓珍漢な言動だったりと、私が何かを恥ずかしいと思うのは、だいたい自身の行動に依るものが大きい。
人のせいで恥ずかしい思いをした、などはあまり無いような気がする。
恥ずかしい思いをしないように、自分を変えられるのは自分自身だ。
自分を変えることがこれほどに難しいのなら、他人を変えることはなおさらだろう。
他力本願寺に出家したいが、ここはグッとこらえ、自分の行動変容に焦点を当てていこう。
この日記を書き綴っていること自体が恥ずかしいことだと、そういったメタ構造は気にしない方向で。