きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

成人式

2/13 曇り

 

 久しぶりの日記。

 更新が滞っていたのは、テストで忙しかったり、モンハンにハマっていたりしていたからだ。

 世間ではオリンピックが始まったり、様々な出来事が起きているが、それらについて何も書き記すことなく日記の更新が止まっていた。

 

 文章を書くことを一度やめてしまうと、再び書き出すことが億劫になる。

 何事でも、継続させることは難しい。

 文章を書くリハビリがてら、また日記を再開したいと思う。

 

 

 ブログという形で公開するかどうか悩んでいたが、成人式で感じたことについて書こうと思う。

 去年、「成人式に行くのが嫌な理由」というタイトルで日記を書いた手前、けじめをつけなければならない、とも感じたからだ。

 もしかしたら、このことについて書き渋っていたせいで、ブログの更新が滞っていたのかもしれない。

 そのくらい、成人式について自分が気持ちの整理をつけるのには時間がかかった。

 

 

 成人式の日。直前まで私は行こうか行くまいか考えていたが、結局行くことにした。

 今も親交のある中学校からの友人と二人で会場である地元の中学校へと向かった。

 普段、身だしなみを全くと言っていいほど気にしない私だが、成人式には流石に格好を小綺麗にしてから臨んだ。

 

 会場へ着くと、いくらか見覚えのある顔があった。

 と言っても、中学校を卒業したのが約五年前なので、曖昧な記憶を辿りながら、比較的仲の良かった人たちに話しかけた。

 話しかけたはいいものの、相手には自分が誰なのか気づかれていなかった。

 怪訝な態度で皆接してくる。

 身長が卒業してから三十センチ近く伸び、声も低くなり、メガネからコンタクトに変えていては、私が誰なのか分からないのも当然と言えばそうである。

 自分の名前を出すと、ようやく私のことを思い出してくれたのか、態度が比較的軟化した。

 

 卒業から五年も経てば、マイルドに言って、同級生の格好はバリエーション豊かになっていた。

 エグザイル風の男から秋葉原の量産型オタクのような見た目の男まで、見た目は様々である。

 女子の格好は振袖で統一されていたので、それぞれの違いは目立たなかった。

 だが、細かいところまで目を配ると、厚化粧であったり、黒いマスクをつけていたり、清楚系とギャル系に大きく二分されているように見えた。

 こうすると、いかに公立中学校という場が多様な社会階層のごった煮なのかよく分かる。

 成人式を機に、私たちの道が交わり合うことは二度とないだろう。そう思った。

 その方がいいのかもしれない。

 

 意外と成人式はすんなり終わった。

 式の後、もともと私が所属していた男子バトミントン部の有志たちで昼食を取りに行った。

 男子バトミントン部の人だけを見ても、昔から変わらない人と、落ち着いた性格になった人がいた。

 もともと大人しかった人が、よりダウナー系になっているような気がした。

 男子バトミントン部の面々と話していると、徐々に妙な違和感に襲われていった。

 まるで、私に向けて発した言葉でも、私に向けてその言葉が届いていないような、そのような違和感だ。

 私もそれに対して受け答えするのだが、少々手応えがない。

 言葉の芯を掴めていないような気がした。

 

 ご飯を食べ終わった後、成人式に一緒に来た友人はカラオケに誘われた。

 私は誘われなかった。

 カラオケに行っても、レポートを全て終わらせられるほどの余裕はあった。

 だが、「レポートをやらないといけないから」と、私は誰に言うでもなく嘯いた。

 そして、口元をぎこちなく歪ませ、下手くそに笑った。

 ここでカラオケに乗り込むほどの積極性や厚かましさを、私は持ち合わせていなかった。

 こういう笑みを浮かべるのは本当に辛い。

 「二度と会うことはないかもな」と、かつての部員におどけてから、帰路に着いた。

 

 家に帰ってから、違和感の正体について探った。

 その結果、皆の言葉は中学生の頃の私に向けたものであって、現在の私に向けたものではないということを発見した。

 

 かつての同窓の人々は、中学生の頃の私に対して接するように、今の私にも接した。

 しかし、皆がこの五年で変わったように、私も変わってしまっていた。

 そのイメージの齟齬が、会話での違和感を生んだのだと気付いた。

 中学生の頃の私は、確かに今よりも碌でもない人間だった。

 五年という歳月による周囲との解離よりも、過去の自分との断裂を強く感じ取った。

 

 

 以上が成人式の感想のようなものである。

 やはり日記はいい。

 ウジウジと考えていたことを書き留めると気分が爽快である。

 

 たった三年という月日で、人は恐ろしいぐらいに変わってしまう。そして、大抵は悪い方へと変わってしまう。悪化してしまった同級生。そして、彼らを通して悪化してしまった自分を直視するのは、なかなか勇気のいることだ。

 

 去年の私はこのようなことをブログに書いている。

 少なくとも、私はこの五年でより良い方向へ向かっているようだ。

 知識を蓄え、交友関係も主観的には充実したものになり、将来の目標も定まりつつある。

 中学の頃の私に笑われないよう、これからも進んでいきたいものだ。

 次の五年が楽しみである。

 

 

 最後に「成人式に行くべきかどうか」というよくある議題に、自分なりの答えを出しておきたい。

 ズバリ、「どちらでもいい」である。

 私の中学時代の友人にも、成人式に来ていなかった人たちは結構いた。

 彼らの「成人式に来ない」という決断は一人の二十歳の人間の選択として尊重されるべきだと私は思う。

 人は一人でに育つ。

 成人式に行ったか行かなかったかに関わらず、大人への第一歩は祝福されるものだ。

 そうすると、結局はどちらでもいいのではないか、と思う。

 アンサー、「どちらでもいい」。

 また曖昧な結論に終わってしまった。

 折衷案はいつも不人気である。

 全国の二十歳に幸多からんことを。

 平昌で活躍する同年代の選手を見ながらそう思う。

 

ちんこスター

 

スーパー一一四五一四郎「わぁ~い! お~いらは、ホモビ大好き少年だよ~!」

 

スーパー一一四五一四郎「あれ? こんなところで『リズムホモビ』の発表会やってるよ! ちょ~っと、みてみよ~っとぅ!」

 

 

BGM:大塚アーイキソ「淫乱棒」

 

www.youtube.com

 

 

野獣先輩「まずまずうちさぁ、ここ↑こ↓ここ↑ここ↓」テーチョウヒラクトーモウー

 

スーパー一一四五一四郎「あら~っ! くさそうな子出てきましたねぇ! なるほど~! リズムに合わせてホモセックスをするのが『リズムホモビ』なんだねぇ!」

 

野獣先輩「見とけよ見とけよホラホラホラホラ」アマイーアーマイモノーデースイェイ

 

スーパー一一四五一四郎「早くなった! もっとスピード上がるの? 凄い凄い凄いっ!」

 

野獣先輩「良いよ来いよ! 胸にかけて胸に!」ナキナキノイチニチヤー

 

スーパー一一四五一四郎「サビが来るよ? これサビどうなっちゃうの?」

 

野獣先輩「イキスギィ!イクイクハァハァ……」ダッテオオインダモン

 

 

 

 

 

野獣先輩「…………」エガオサクー

 

スーパー一一四五一四郎「イかなぁ〜〜〜〜い!!!」

 

 

おしり

 

生命の価値

1/3 晴れのち曇り

 

 明けましておめでとうございます。

 

 正月は京都に旅行に行き、ステーキなどをたらふく食べたり、初詣に行ったり、なかなか充実した時間を過ごした。

 

 恋みくじという恋愛に特化したおみくじを八坂神社で引いたところ、末吉であった。凶一歩手前である。

 相手との共通点は「趣味」と書いてあった。幅が広すぎる。

 まぁ、そこに「EXILE」と書かれてあっても困るのだが。

 

 八坂神社は人で溢れかえっており、まともに賽銭を投げることすら難しかった。

 賽銭箱の前にいる人々の頭に大小様々の硬貨が打ち当たる。

 円、ドル、ユーロ。通貨の種類も様々だ。

 なかなかに面白いものが見れた。やはり、正月は退屈しない。

 

 私も、人の頭に当たることがないように手首にスナップを効かせて、奥の方へと五円玉を投げ込んだ。

 私はゆるい無宗教なので信仰心は無いのだが、一応願い事をしておこうと思った。

 「波風を立てることができ、人の心情を考えずに済む一年になりますように」と、本殿をぼんやりと眺めながら念じた。

 

 心理学を勉強する者が「人の気持ちを考えずに済むように」なんて願うことは、一見矛盾しているような気がする。

 でも、勉強で人の心を考えるのと、日常世界で人の心を考えることは、質的に異なっているのだ。

 後者の方が幾分煩わしい。

 相手の気持ちを考えなければならない状況にまで陥ることのない生活を送りたい。

 

 

 生きるということ自体に価値はあるのだろうか。

 正月早々、ここ数日はそういったことを考えている。

 

 例えば、「生きること」を物質であると捉えた場合、生きている主体、つまり生物が死んだ瞬間にその生物だったものからは、一体何が失わるのだろうか。

 

 生と死の瞬間を極限まで分割した時、そこに失われるものは何もない。

 生物だった物質自体の構成は、生と死の間では完全に同じだからだ。

 

 以上から、「生きること」は物質ではないということが結論づけられる。

 

 では、「生きること」とは何か。

 

 人生論はいろいろあると思うが、これを全く考慮せずこれに言及すると、「生きること」はつまり、状態である。

 

 有名なポール・ワイスの思考実験にヒヨコをミキサーにかける前とかけた後では何が失われるか、というものがある。

 ポール・ワイス自身はこの時、「生物学的組織」が失われると定義している。

 組織が部分に分解されることによって、「生きること」ができなくなる。

 そうポール・ワイスは考えたのだ。

 

 この考えは心理学のゲシュタルトという用語にも通ずる者がある。

 「全体は部分の総和に勝る」とはアリストテレスの言葉だが、ゲシュタルトの概念はこの言葉がよく表している。

 音符をでたらめに並べただけでは音楽にはならないが、同じ量の音符でもその構成によっては素晴らしいメロディになることがある。

 部分を適当にかき集めたものでは、うまく組織された全体より効力を発揮することが出来ないのだ。

 

 「生きること」は、生物の部分がちょうど良く合わさり、生物学的組織を構成した状態のことだと、私は考える。

 原子からタンパク質や水へ。それらが組み合わさり臓器や血管などへ。さらにそれらの部分が整合性の取れた形で並ぶことにより、ようやく一つの生物が完成する。

 部分が調和の取れた状態(表現が恣意的な気がするが)になることによって「生きること」ができるのだ。

 これは小蝿でも象でも、人間でも変わらない。

 

 

 では、私たちは生命の価値をどのようにして判断しているのだろうか。

 小蝿と人間では、命の重みが全く異なるのは自明のことである。

 しかし、生きているという状態、そのことに違いはない。

 

 宗教家なら「私たちは神に生かされているから、生命そのものの質が小蝿と人間では異なる」とでもいうのかもしれない。

 私は神を見たことがない。

 宇宙の中を隈なく探索したこともないし、宇宙の外にも出たことがないので、神の存在について言及することはできない。

 

 しかし、神が私たちを生かしているとは考えづらい。

 インフラが全て止められ、喉が渇いて瀕死の下宿生の家の水道代を、神が払ってくれたなんて話は聞いたことがない。

 神という存在が仮にいたのだとしても、私たちを生かしてやることができるほど、暇では無さそうである。

 神よりも、水道料金を払っている人の方が圧倒的に偉いのだ。

 人間視点では、の話だが。

 

 

 私たちが命の価値を計る際に用いる物差し。

 それは、「いかに共感できるか」ということだと思う。

 

 小蝿よりも魚に、魚よりも犬に、犬よりも人間に、人は共感することができる。

 

 人間に人間が共感できるのは当然だ。

 人間の共感性は他人と協調するという点において、これまで生存に有利に働いてきたのだから。

 

 犬の思考も、なんとなく人間サイドは読み取ることができるだろう。

 犬は人間の指差しや単純な言葉を理解する。

 最近の研究では、犬も感情を持つことが証明されている。

 これらの人間との共通点やその外見の可愛らしさから、犬は擬人化されることも多い。

 逆に、人間の性格が犬の性格(人間側のステレオタイプだが)に似ている、つまり好奇心旺盛で従順であるときは「犬系」と呼ばれることもある。

 犬は人間にとって共感できる相手であるということは確かだ。

 

 魚など、容姿や思考が読み取れない生物になってくると、単純に外見や大きさが人間に近いか、ということが焦点になってくる。

 小蝿をためらいなく叩き落とすことができることができる人でも、魚をさばくことに抵抗のある人はいるだろう。

 

 以上のように、いかに共感できるかどうかが、人間が生命の価値を計る際の尺度になっている。

 

 同じ人間であっても、白人にとっての黒人や、正義漢にとっての殺人犯は共感できない相手である。

 これらの場合、一方から見た相手の生命の価値は、同じ環境に属している人に比べ軽んじられる。

 

 共感が命の価値判断に用いられるという人間の特性は、プロパガンダなどにも利用されている。

 太平洋戦争時も、日本では連合国軍のことが骸骨を眺める西洋風の少女の写真と共に「鬼畜米英」として紹介されている。

 この広告は、日本人の西洋人に対する共感を削ぐことに貢献しただろう。

 もちろん、このようなプロパガンダは日本だけでなく世界中で有事の際に用いられている。

 

 以上のように、共感によって同種である人間に対しても、命の価値の主観的な量は変化するのだ。

 

 

 生命の価値は人間の主観的なものである。

 それに、各個人によって同じ対象に向けての価値の量も異なるだろう。

 実際の「生きること」が全生物に共通した状態に過ぎないのなら、たとえ人間の生命でも小蝿と生命の質は変わらないはずである。

 

 生命の価値は、人間が自分勝手に設定した尺度である。

 だが、自分勝手でもいいじゃないか、と私は思う。

 家族や友人の生命を重視することは美徳であるし、害虫を人間の生命と質が同じだからといって全く駆除しないのも、不利益を被るだけである。

 

 共感によって生命の価値を決定するという特性を持って私たちは生まれたのなら、論理によってそれを捻じ曲げるのではなく、それに従って幸福を目指していこう。

 リアリスト的な考えだとは思うが、それが利益を生むのではないだろうか。

 

 ここから先は倫理学の領域である。

 人間にとって何が良いか、何が悪いかは、結局のところ人間自身が決めていくしかない。

 

 

 新年早々、生命の価値について長々と述べた。

 とりあえず、2018年は他人の気持ちを考えずに済むような生活を送りたい、というのが新年の抱負である。

 

 人の気持ちを忖度するというのも、共感の産物なのだが……。

 

 

未来

12/31 曇り

 

 2017年も今日で終わり。

 一歩も家から出ない年末だった。来年から本気を出したい。

 

 来年度は英語力の底上げを目指したい。

 ついでに、論文をスラスラと読めるになりたい。

 

 一年という区切りは、惑星の公転を基にした時間の区切りにすぎない。

 無情に時間は過ぎ去るものだが、カントの言う通り自律によって人間は時間を統制することができる。 

 

 希望のゼミに入ることもできたし、十分に勉強をすることのできる環境は整っている。

 私が何もできずに朽ち果てるか、何かを成すことができる変態となるかは、来年度の働きが大きく関わってくるだろう。

 私はまだ若い。できることは、沢山ある。

 

 

 来るべき成人式に備えて、小中学校の頃の卒業アルバムを眺めている。

 

 「成人式には行かない」と去年のブログには書いたが、気が変わった。

 20歳を目前に控え、ここらで愚かな自分の過去を清算しておくのも悪くない。

 

 高校から大学へと、中学校までの私の性格は消え去ったも同然である。

 しかし、成人式で出会う同級生たちは、私に対する昔のイメージのままで接してくるはずだ。

 それにうまく対処するため、昔の自分がどのような者だったのかを卒業アルバムを見ることによって思い出そうとしているのだ。

 

 中学校の頃の私は一体どこに行ってしまったのだろうか。

 いや、どこにも行っていないはずだ。

 確かに、子供の頃から脈々と続く『何か』が私の中にあるのだろう。

 それは記憶だろうか、臓器だろうか、それとも遺伝子だろうか。

 実際は、それらの他にも色々付け加え、混ぜ合わせたものを幼少期から受け継いできたのだろう。

 人間は単なる遺伝子の運び手でも、ミーム・マシーンでもない。

 

 

 卒業アルバムをめくっていると、自分が昔書いた作文を見つけた。

 文章はほぼ箇条書きをつなげたものに近く、まるでやる気が感じられなかった。

 内容はもちろん無い。最低限先生に与えられた文字数制限だけはクリアしようという心意気だけが伝わった。

 

 ブログやレポートを書きまくっている今からは想像も出来ないが、小中学校の頃まで私は文章を書くことが大嫌いだった。

 自分の書いた文章を誰かが読み、薄情な評価をされたり、軽蔑されるのでは、という恐れが常にあった。

 

 実際、このブログを始めた動機の一つが「自分の主張を語る勇気を持つ」ことだった。

 その結果、今年は地震のブログでの言説を巡っていくつかトラブルと遭遇したが、後悔はしていない。

 公に自分の考えを主張することは、批判を受けることよりも価値がある。

 好き勝手な文章をブログに書き込むようになってから、精神状態も非常に改善した。

 言論の自由のありがたみを私はつくづく思い知った。

 

 まあ、こんな文章を半分実名のような形でインターネットに書き込むことができるのは、学生のうちで最後だろうが。

 そのうち完全に匿名に移行しなければ、とも思う。

 

 

 卒業アルバムによく書き込まれがちな、将来の夢もアルバムに書き込まれてあった。

 

 小学校ではサラリーマン、中学校では公務員だった。

 今の私とは違い、超安定志向である。

 

 今ではサラリーマンも、公務員も安定的な仕事と思うことができなくなってしまった。

 今の私にとっては、どちらも場合によっては低給で休みが少なく、単調でやりがいの無い仕事だ。

 

 最近、語学のテスト勉強だったり、とにかく単調な作業が嫌になってきた。

 自分の頭を働かせ、何かに打ち込んでいる方が精神的には楽だ。

 

 こうして見ると、本当に昔と現在の私はまるで違う。

 思考回路からして違う。どこか昔の私は、謙虚で弱気だ。

 私の傲慢は一体どこからやってきたのだろうか。

 宇宙から来ていたら面白い(面白く無い)。

 

 

 大晦日の今日に、母親に大学三年生になったらインターンシップをするように言われた。

 両親は私が研究職志望であることは承知のはずだが、「社会を知った方がいい」と言われた。

 

 絶対に嫌だ。社会のことなど知ったこっちゃない。

 社会など、人間にも似つかぬ感情を失くした魑魅魍魎が跋扈する場所に決まっている。

 そんなところに行って一体何を知れというのだろうか。

 死ぬ物狂いでインターンシップを回避する予定である。

 

 2018年、金こんにゃく氏の未来は暗い。

 インターンシップによって来年ごろには、今年の私は小中学校の頃の私と同じように息絶えてしまうのだろうか。

 社会を知って、謙虚になどなりたくない。

 

 己の引きこもり精神と傲慢さを賭けた一年が、今まさに始まろうとしている。

 

 

 今年は皆様ブログを読んでいただき、ありがとうございました。

 それでは、良いお年を。

 

いいよ、こいよ! 年を越して年を!

12/30 曇り時々晴れ

 

 今年も残り1日となった。

 

 個人的な今年の漢字は『独』である。

 2017年は孤独と向き合い、独身のままであり、ドイツ語に苦しんだ一年であった。

 

 今年の漢字というのは、いつもネガティブな意味のものが選ばれやすい。

 2017年の感じも北朝鮮の『北』だった。

 

 幸福な記憶を一文字で表す漢字は、なかなか思いつかないものだ。

 ネガティブな出来事は記憶に残れど、幸せな思い出は日常の中に溶け込んでいってしまう。幸せはいつも捉えることが難しい。

 

 

 一年を振り返る。

 といっても、トランプが大統領に就任したことや、北朝鮮大陸間弾道ミサイルの開発に成功したことばかり書いても、それはニュースを見返せば済むことである。

 

 なので、自分自身のこの一年について語りたい。

 

 今年は私の短い人生の中でも最高の一年だったように思う。

 

 勉学や交友関係、趣味も充実していたし、不幸な出来事に見舞われることがあまりなかった。ゾクゾクするようなスリリングな出来事は多かったが。

 

 微妙な成績を収めたテストで一年が始まり、2月には汚い動画を作り始め、10万再生を超えるものを幾つか生み出すことができた。

 

 春休みが長すぎたせいで3月の初め頃にネガティブシンキングに陥り始め、編入試験を志した。

 

 4月に大学2年生になり、不登校支援のバイトが終わり、あまりサークルにも行くことがなくなった。

 

 5月に童貞サークルを成り行きで結成し、関学の各所のサークルに喧嘩を売り(嘘の情報は言っていない)、迷走に迷走を重ねていった。

 

 6月にはこれまで大学入学以来身につけていた帽子に必要性を見いだすことができなくなった。

 ついでにドイツ語に苦しみ始めたのもこの頃だ。

 

 夏休みが始まる7月にはペンタブを購入し、パソコンでのお絵かきを始めた。

 これは趣味として一応今でも続いている。画力は少し向上した。何事も継続である。

 

 8月はこれまでの反省を生かして、ボルシチを作ったり喫茶店巡りをしたりと、変化に富んだ夏休みを過ごした。

 編入試験の勉強も捗り、充実した夏休みだった。それでもやはり退屈だったが。

 

 9月はひたすら勉強だった。何も思い出がない。

 せいぜい新学期が始まったことくらいだろうか。

 

 10月は試験前だったので、やはりひたすら勉強だった。10月は平穏だった。

 

 11月には学祭に目もくれず編入試験の本番があり、不合格だった。

 「傲慢」であることを様々な人から指摘され、自分の性格について思い詰めた。

 今でも性格を変えるよう努力するべきかどうか、考えている。

 

 12月はPS4を購入しゲームの楽しさに目覚め、今に至る。

 

 

 こうして振り返ると、今年は普段に比べて本当に平穏な一年だった。

 

 点数をつけるとするなら75点。次第点である。

 

 編入が合格したり、交際関係ができていたりしたならば、一発で100点になっただろう。

 いや、編入や交際関係が生活の満足度上昇に繋がるとは思えない。

 どちらも、幸福に直結するとは限らない。

 特に交際関係においては、である。

 今年は恋愛関係のリアルを感じ取った一年でもあった。

 

 

 来年、私は20歳となる。

 年齢だけ見れば、いかにも「大人」といった感じだが、実際は子供ができたり、35歳くらいになるまでは精神的にも子供なままなのであろう。

 

 先に20歳になった同級生たちはまだまだ若い。

 そこに「大人」の雰囲気は微塵も存在しない。

 

 周囲に自称ババア・ジジイの人が増えてきたように感じる。

 そんなことない。20歳程度ならまだまだロリショタだと思う。

 

 古来、人間は「空白の石板」に例えられてきた。

 経験によって人間はいかようにも変われるという意味である。

 

 実際は遺伝子などの影響により「少し書き込まれた石板」なのだが、まだまだ私の石板には空白のスペースがたくさんある。

 

 これからどのような美しい散文が空白に書き込まれるのだろうか。来年が楽しみである。

 来年は波風を立てることを目標に過ごしていきたい。

 

 せっかくの空白が無茶苦茶になりそうだ。

 

「ビリギャル」と「ビリオタ」

12/26 曇り

 

 クリスマスが平穏に終わった。

 今年はイブにプラカード持ちのバイトをしていた友人に会い、次の日はタイ料理の店に行き、平年に比べて楽しい時間を過ごすことができた。10代最後のクリスマスにふさわしい。

 

 私はいつも読書よりも、友人との会話を優先するようにしている。

 立派な理由は無い。そっちの方が楽しいからだ。

 頭の体操にもなるし、人との会話の方が案外役に立つ情報を得ることもできる。

 孤独は退屈だし、酷く寂しい。

 今年のクリスマスは孤独でなくてよかったと、心からそう思う。

 

 

 「ビリオタ」を書いてから、ちょうど1週間くらいになる。

 いくつか端折った場面はあるが、あれは全体的に一応実話である。

 

 「綺麗な話じゃ無いじゃないか!」と読んだ人が感じたのなら、それは私の受験や生活そのものが汚れているせいであって、読者の感受性がひねくれていることは一切ないので安心してほしい。

 そろそろ自分の行動を顧みて、綺麗な思い出を作りたいものだ。

 

 

 「ビリオタ」を書くに当たって、私はこれまで読んでいなかった「ビリギャル」を最初に読んだ。

 

 今更説明は不要かと思うが、「ビリギャル」はお嬢様学校に通っていたギャルが、そのうち清楚な服装をするようになり、慶應義塾大学に最終的に合格する話である。

 よくできた成功談だ。この物語に勇気をもらった受験生はそれなりにいるだろう。

 

 名前をパロディーしたが、「ビリギャル」と「ビリオタ」で違う点というのは結構存在する。

 中でも一番大きな違いは、いかに高校生活でこの二人が腐っていったか、ということだろう。

 

 「ビリギャル」は不真面目な友人に囲まれ、未成年飲酒や喫煙を繰り返し、勉学を放棄し、典型的な不良・ギャルとして腐っていった。

 一方、私はネットの大海で沐浴しながら、勉学を無視してオタク知識を頭に詰め込んでいった結果、徐々に腐っていった。

 

 「ビリギャル」は周囲の目に見える形で腐っていったが、「ビリオタ」は人知れず静かに腐っていった。

 そこが「ビリギャル」と私の、一番大きな違いだと考えている。

 

 「ビリギャル」には、学校の教師に「君はね、人間のクズだよ」と罵られ、激昂するシーンがある。

 私が同じことを高校時代に言われていたとしても、激昂できた自信がない。

 

 少なくとも高校時代の私なら、ニヤケ面を晒しながら「何言ってんだこいつ」という視線を教師に投げかけていたであろう。

 

 怒ることができるぶん、「ビリギャル」の方が救いがあるだろう。

 怒りというエネルギーを放出できるなら、まだまだ未来は明るいからだ。

 軽蔑に対して感情の波が立たないのは、本当にピンチである。

 まぁ、高校時代の私なのだけれども。

 

 

 「ビリギャル」の概要は知っていても、「ビリギャル」のその後を知る人は少ないと思う。

 

 「ビリギャル」は慶應義塾大学総合政策学部に合格した後、6万円かけて付け毛などをして、容姿を元のギャルに戻した。

 大学入学後はかの悪名高い広告研究会に所属し、サークル活動に勤しんだらしい。

 落単を繰り返し、留年ぎりぎりで卒論を書くことなく卒業し、最終的には大きなブライダル会社に就職した。

 その後、2年半でその会社を辞め、別のブライダル会社に就職。

 下北沢で居酒屋の店長をしている男性と結婚し、今に至る。

 

 「ビリギャル」のその後は「ビリギャル」ほど、輝かしい人生ではないのは一目瞭然である。

 慶応の広告研究会といえば集団強姦事件で有名だし、2年半で退職というと就職が失敗したように受け取れるし、下北沢にはホモしかいない。

 

 どう考えても、「ビリギャル」のストーリーに比べれば、その後の生活は見劣りする。

 

 要は、どこで区切って一つの物語にするか、ということである。

 「ビリギャル」は低偏差値の不良から慶應義塾大学に合格するという人生の一部を区切って、素晴らしい物語に仕立て上げたものだ。

 

 私だって、偏差値35の状態から3ヶ月程度勉強して関西学院大学に合格した。これでも宣伝文句にはなるであろう功績だと思う。

 私の大学受験も、一つの立派な物語に仕立てあげることができるだろう。

 

 だが、私がオカズをマイナーにしていき、どこのラインまで自慰行為に耽ることができるかという物語を仕立て上げたらどうだろうか。

 おそらく、売れない。ごく一部には需要があるかも知れないが。

 

 「ビリギャル」も、そうである。

 大学入学後のエピソードを「ビリギャル」に掲載していたら、売れ行きに多少の変化が見られたかも知れない。

 

 区切りによって、物語とそれに関わる人への印象は大きく変わる。

 「ビリギャル」がギャルのままであったら、彼女をクズと罵倒した教師にも多少の共感が集まったかも知れない。

 

 

 ある人生の一部で「ビリギャル」は勝者だった。

 ある人生の一部で「ビリオタ」は敗者だった。

 

 「ビリオタ」の最後にも書いた通り、勝者の物語も、敗者の物語もその後続いていくのだ。

 

 生きている限りは前へと進んでいくしかない。

 

 「ビリギャル」には「関西学院大学なんて慶應義塾大学の滑り止め、入試は楽勝だった」という記述があった。

 

 それを「ビリオタ」である私が読んだ時、無性に腹が立った。

 形容しがたい悔しさが、心中に立ち込めた。

 

 大丈夫、今は怒りが湧くようだ。そう自分に言い聞かせる。

 

 拝啓、「ビリギャル」こと「さやか」さん。

 私は敗者らしく、これからも頑張っていきます。

 大学受験や、編入試験が人生の目標ではないのですから。

学年ビリのオタクが1年で大阪大学の編入試験に不合格した話 後編

 試験日の直前に、文化祭があった。

 

 大学の文化祭は高校に比べてやたらと豪華だ。出店は多いし、四日間もあるし、芸能人も来る。

 

 だが、そんなことは今年の私には関係なかった。

 

 文化祭の期間中も、図書館に籠りっぱなしだったからだ。

 

 いや、去年の文化祭も図書館に籠りっぱなしだったが。それはそれで悲しい。

 

 周りが賑やかだと、孤独は加速する。

 

 文化祭の四日間は、夏休みよりも精神面では辛かった。

 

 試験のプレッシャーと、疎外感が重くメンタルにのしかかった。

 

 そんな時、私が勉強しているところに友人二人が訪れてくれた。

 

 正直、嬉しくて泣きそうになった。嬉し泣きしそうだったのは生まれて初めてのことだ。

 

 たとえ、サークルの売り込みだとしても、とても感動した。

 

 二人に頼んで、サークルの出していたタコ焼きの乗ったせんべいと、他サークルのコーラフロートを図書館まで取ってきてもらった。

 

 すっかり冷めてしまった冷凍食品のタコ焼きは、絶妙に微妙な味がした。

 

 

 文化祭の後、試験日がやってきた。

 

 皆にとっては祭りのあとだったのだろうが、私にとってはこの時点で焦っても、後の祭りである。

 

 これまで学んだことの軽い復習をして、テスト会場までの電車内の時間を過ごした。

 

 試験時間の1時間ほど前に大阪大学人間科学部棟に着くと、もうすでにかなりの人数が建物の入り口近くに集まっていた。

 

 私が着いた後も、受験生は続々とやってきた。

 

 そのほとんどが親に付き添われ、タクシーでやってきていた。

 

 大阪大学レベルになると、編入試験であっても全国から受験者が来るのだろう。

 

 受験者はほとんど「中央ゼミナール」だの、「EEC編入予備校」だの、編入試験に対応した予備校のファイルを持っていた。

 

 ファイルには過去問がぎっしりと詰まっている。

 

 この試験に賭けているものが違う、と私は思った。戦慄した。

 

 また、子供を連れずに母親一人が試験会場に来ていると思ったら、その人自身が受験生だということもあった。

 

 編入試験には受験年齢の制限は特といって無いので、大学生だろうが老人だろうが受験することはできるのだ。

 

 歳を取っても勉強をするため編入試験を受ける。この心意気には尊敬の念を抱いた。

 

 だが、試験で負けるつもりは毛頭無かった。

 

 19歳だろうと50歳だろうと、ここに来るまでやってきたことでぶつかり合うのみだ。

 

 

 会場の指定された座席に座ってから、すぐに最初の英語の試験が始まった。

 

 配られたプリントが薄っすらと透けて、長文の量が見えた。

 

 私の持っていた過去問の英文の、4倍くらいの量があった。

 

 試験開始の合図とともに、問題用紙を表に向ける。

 

 手が湿っている。やけにうまく用紙が摘めた。

 

 いざ、英文を読んでみる。

 

 「難しい」と、素直に思った。

 

 めげずに、うまく和訳できるように努める。

 

 回答用紙が手汗で湿って、シャープペンシルで書いた文字が薄くなった。

 

 意識が飛びそうになった。

 

 

 自身の英語力の無さを痛感したまま、英語の試験が終わった。

 

 気分転換を図るため、休憩時間に会場の外へ出た。

 

 遠くに太陽の塔が見えた。太陽の塔の、背中の黒い顔がこちらを静観していた。

 

 「岡本太郎は阪大出身だったっけ」と、まとまらない思考を宥めながら会場に戻った。

 

 

 小論文の試験は上出来であった。

 

 レポートに励んだおかげか、贅肉の無い良い文章が書けたと思う。

 

 問題形式があまり過去問と変わらなかったこと、日頃から考えている「世間」についてなどの問題が出たことが良かった。

 

 小論文のおかげで、なんとか心の平静は保つことができた。

 

 

 昼食をとってから、専門科目の試験が始まった。

 

 自由論述の小論文では、学習と遺伝が行動にどのような影響を及ぼすのかを問われた。

 

 これには、ローレンツの刷り込みや、観察学習や洞察の実験の例を出して論じた。最低限のことは書けていたと思う。

 

 単語の意味を問われる問題では、t検定といった統計の用語や、愛着などについて問われた。

 

 これらも、自分の持てる知識を活かして、よく書けたと思う。

 

 問題が記述式だとすぐに試験時間は終わる。この試験も、その例に漏れなかった。

 

 自分の斜め前に、先ほど見かけたご婦人が座っていたので、試験終了後に回答をちらりと見た。

 

 恐ろしいほどの文量の小論文を回答用紙に書いていた。

 

 負けたと、シンプルに思った。

 

 

 三教科の試験を終えて、残すは口頭試問のみとなった。

 

 試験前にトイレに行っておいた。

 

 すると、隣に教授らしき人物がやって来て、小便をし出した。

 

 アイドルでは無いが、教授がおしっこをする場面は、これまでイメージをすることがあまり無かった。

 

 小中高と、トイレが生徒用と教師用で分けられ、教師の小便を見かけることがなかったからだろうか。

 

 こうして見ると、教授もなんの変哲のないオッサンのようだ。

 

 しかし、その禿げかけた頭は明晰で、膨大な知識が詰まっているのだろう。

 

 

 口頭試問の待合室に入ると、受験する順番が黒板に張り出されていた。

 

 確認すると、私がトップバッターであった。慌てて志望理由書を見直した。

 

 そのうち私の名前が呼ばれたので、口頭試験が行われる教室に急いだ。

 

 教室に入ると、7人ほどの先生がいた。

 

 顔を見渡すと、自分の志望している研究室の教授がいる。

 

 口頭試験の教室は二つある。おそらく志望分野で試験の教室が分けられているのだろう。

 

 一礼してから席に着くと、口頭試問が始まった。

 

 最初に、自分が志望している分野と、入学後に何がしたいかを3分以内で説明するように伝えられた。

 

 私は全く面接の練習をしていなかった。ぶっつけ本番だ。

 

 腕時計をちらりと見てから、はっきりとした声が出るように努めて説明をした。

 

 正直、緊張しすぎてイントネーションが所々おかしくなっていた。

 

 一通り説明を終えたので、腕時計を見た。秒針を確認する。

 

 あれ、どの時刻から説明を開始したっけ? 

 

 鳥肌が立った。

 

 かといって、これ以上説明をすることもなかったので、「以上です」とだけ、私は少し小声になって答えた。

 

 その後は志望分野に関連する本はどのようなものを読んだのか、不登校支援の経験がどのように現在につながっているのか、心理学検定を取ったことなどを尋ねられた。

 

 それぞれ、しどろもどろになりながらも必死に答えた。

 

 緊張しすぎて、それ以上のことは覚えていない。

 

 ただ、一人の教授が隣の教授に「この子が合格してきても大丈夫ですか?」と囁きかけたことは記憶している。

 

 囁かれた教授は小声で「ウン」と答えた。

 

 どういう意味なんだこのやり取りは。私は気が気でなかった。

 

 

 口頭試問が終わると、そのまま帰宅することを指示された。

 

 私はツイッターに試験が終わったことをツイートし、親にラインをしてから、大阪大学の近くにあるエキスポシティに向かった。

 

 エキスポシティにあるゲームセンターで軽く音ゲーをして、試験後の気分を発散しようとした。

 

 英語の試験の不出来や、面接の緊張を試験後も引きずっていたからだ。

 

 軽く気分転換にはなったので、フードコートに寄って大きなハンバーガーを頼み、それに齧り付いた。

 

 戦いを終えた後の体に、旨味のある肉汁が浸透した。

 

 

 編入試験の合格発表は試験の4日後であった。

 

 大学入試と異なり、結果が出るまでの時間が短い。

 

 そのせいか、この4日はずっと緊張していた。

 

 寝不足にも、下痢にもなった。

 

 合格発表が近づくに連れ、自信がなくなっていった。

 

 

 結果発表当日、発表時間まで私はずっと図書館に籠っていた。

 

 本を手に取るが、気が紛れない。時計ばかり気にしてしまう。

 

 時間が経つこと認識すること自体が苦痛だったので、一眠りすることにした。

 

 イヤホンを耳に挿して目を瞑る。寝不足だったおかげか、すぐに眠りについた。

 

 

 目を覚まし、時計を確認する。合格発表の五分前だった。

 

 結果が発表されるページを検索し、更新ボタンを連打する。

 

 時間は早く経つもので、気がつくとサイトに「平成29年度合格者」のリンクができていた。

 

 震える指でスマートフォンをタップした。すぐにページが切り替わる。

 

 私は固まった。

 

 合格者が少ないせいで、私の合否はすぐにわかってしまった。

 

 そこに、私の受験番号はなかった。

 

 

 スマートフォンの画面を消して、重い深呼吸をした。

 

 間も無く、両親から慰めのメッセージが届いた。

 

 入試に落ちたことをツイッターに書き込むと、励ましのリプライがたくさん届いた。

 

 これを見て、少し元気になった。

 

 どこかで諦めていたのだろうか、不合格した時、それほどの衝撃はなかった。

 

 意外なほど無感触な敗北であった。

 

 先ほど述べたご婦人は合格していた。さりげなく、彼女の受験番号を確認していたのだ。

 

 「もう二度と、ご婦人には負けないぞ」と思った。

 

 幸か不幸か、私の勝負への熱意は冷めなかった。

 

 

 こうして、私の約1年に及ぶ受験勉強は幕を下ろした。

 

 だが、生活は続いていく。

 

 これまで何度も、大きな勝負に私は負けてきた。だからこそ、何事もなかったかのように日常が続いていくという、この奇妙な感覚を嫌という程知っている。

 

 受験後、私の試験勉強中に父方の祖母が乳がんになり、私に心配をさせてはいけないので、このことを秘密にしていたということを知った。

 

 それは、祖母の乳がんの手術が終わり、完治した後だった。

 

 「どうせそのことを知っていても、試験には落ちていた」と、私はふざけた風に笑った。でも、その気遣いは嬉しかった。

 

 受験勉強は、周囲の人たちから優しさを感じることのできるイベントでもある。

 

 そこまでの大ごとに挑戦しないと、優しさを感じることのできない私の感受性や人間性にも問題があると思うが。

 

 何はともあれ、結果が不合格で終わっても、得たものは多かった。

 

 学力は全体的に向上しただろうし、人からの温かいものを感じることもできた。

 

 何より、大学院試験という次の戦いへの準備にもなった。

 

 編入試験を受けて、後悔はしていない。

 

 

 勝者の物語は続いていく。

 

 敗者の日常は終わらない。

 

 大学受験が全ての終わりでなかったのと同じように、3年次編入の試験は終わりではない。

 

 もちろん、これは大学院試験にも言えることだ。

 

 敗者にできることは、次の戦いに備えて努力を続け、いつか自分が思うことを成し遂げることだ。

 

 重要なのは勝つことではない。どんなにプライドが汚れても、自分の夢を叶えることだ。

 

 諦めたくない、そんな泥臭い感情が肥料となり、人の夢を実らせる。

 

 夢が叶うまで諦め悪く努力を続ければ、その過程は無駄にはならない。

 

 

 これは、一人のオタクが「ゼッタイ無理」に挑んでみた物語だ。

 

 そして、奇跡は起こらなかった。

 

 編入試験という一章は、ここで終わる。

 

 だが、物語は終わらない。

 

 この未完の物語で、これからも努力を積み重ねていこう。

 

 それがいつか、奇跡に届くことを願って。