きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

トマトピア

5/31 晴れ時々曇り

 ツバメがクソ飛び交う季節になった。駅前の商店街を歩いていると、店の軒先にツバメの巣が構えられているのをよく見かける。ツバメの巣に右ストレートでパンチをかます輩が近所にいない証だ。平和なのはいいことだ。

 先日、帰るのが夜遅くになったときには、でっぷりとよく育ったツバメの雛鳥が巣を埋め尽くすように寄り合っていて、親鳥はその近くの電線にとまって寝ているのを見た。親の愛情は人も鳥も変わらないようだ、と過度な擬人化に思いを馳せたりした。こういう微笑ましい光景を間近で観察することができるのは、高身長であることの数少ない利点の一つだ。

 

 高身長には、人から舐められないとか、心なしかスタイルがよく見えるとか、そういった特徴があるが、これらはあまり利点とはいえない。こういう特徴は、人間としての尊厳を保つ上での防衛ラインとしての働きしか持たないからだ。

 高身長であることは、低身長であることのデメリットから逃れるための特徴でしかない。世の中には、こういう高身長と同じような特徴を持つ物事がいくらでもある。

 高収入は、野菜を好きなときに買えないとか、いろんな不便を強いられるとか、そういう低収入のデメリットから逃れるための特徴であり、高学歴もまた、それと同じような特徴を持っている。不足なく生きるというのは、案外難しい。

 

 私たちの言う「普通の人」とは、結局はこういうデメリットからあらゆる場面で逃れられている人を指す言葉なのだ。こうして考えると、「普通の人」とは、平均的な人間というよりは、完璧な人間に近いのかもしれない。

 


 最近、晩御飯によくトマトが出てくる。夏が近づいたからか、親が限りなく新トマトを買ってくるのだ。野菜の中でも比較的安く、色合いも良くて、かつ栄養満点。トマトが好きな私はニッコニコの笑顔で、親が斬りまくった無茶な量のトマトを貪り食っている。


 そのようにしてトマトを頬張っていると、小学生の頃にトマトを育てていたことをふと思い出した。青色のプラスチックの植木鉢を抱えて、よくトマトの世話をしたものだ。

 今でこそマシにはなったが、子供の頃は生き物の飼育がとことん下手くそだった。丈夫なスーベニアも枯らしたし、昆虫に餌をやることすら億劫に感じるクソガキだった。それでも、トマトの飼育は彼が真っ赤な実をつけるまで、無事に世話を終えることができた。


 安物の植木鉢に肥料をふんだんに盛り込んで、トマトの苗木を植える。自分の両手に収まる大きさの、一種の「世界」がそこにあるのが、幼心にも嬉しかった。

 今でも、その植木鉢にトマトのユートピアを略して、「トマトピア」と名付けたのを覚えている。どう考えても「ユートマト」の方が語感が合っていて面白いのに、そういう名前にしなかったのは、きっとおふざけなしに、真面目にトマトの楽園を築き上げようと決意したからだろう。

 エデンの園だって、人間はアダムとイブの二人しかいなかった。トマトの楽園トマトピアには、トマトは一株だけで充分なのだ。


 夏も盛り、トマトを刈り取る時期になると、私は嬉々としてトマトピアから生命の実をもぎ取った。よくよく考えると、植物が一生懸命育ててきた果実を奪い去ってしまうというのは、なかなかに野蛮なことだ。でも、植物に意識はないので、遠慮なく努力の成果を頂く。
 親に切ってもらって、自分の育てたトマトを頬張る。少し口内に違和感。

 甘みもなく、酸味もない。青臭い水風船を口に含んだような感じがした。楽園産のトマトは、そんなに美味しくなかった。スーパーのトマトを育てた人ってすげえや。子供心ながら、そう思った。

 それもそのはず、スーパーに並んでいるトマトは日本各地の農協で選別を受けたエリートトマト、エリートマトなのだから。トマトピア育ちのゆとりトマトは、エリートマトには勝てなかった。なんだかトマトがゲシュタルト崩壊してきた。


 
 最近、YOASOBIの「アンコール」という曲を聞いた。すると、突然「トマトピアの〜♪」という歌詞が聞こえてきた。

 https://youtu.be/vcGbefQBvJ4

 3分10秒あたりである。


「えっ!?!? トマトピアって言った!?!? トマトピア!!!! 言ったやん今!?!?! トマトピアって言った!!!!!!」


 びっくりして、狂喜乱舞しながら歌詞を確認すると、「トマトピア」ではなく「止まったピアノ」だった。


 まあ、そんなこともある。完。

 

霹靂を待つ

5/17 雨のち曇り


 最高の人生の終わり方は、風に吹かれて消え去ることだと思う。

 例えば、こんな終わり方。ある日突然、街からガードレールとか、街路樹がなくなるけれど、自分しか気づかない。そのうち、ショートヘアの女の子や、車や、猫が消えて、私はひとりぼっちになってしまう。漂白された都市を歩いていると、そのうち海辺に着く。そして、ゴミのなくなった清潔な浜辺に座り込む。溶け合うような海と空を眺めているときに、どこからか風が吹いてきて、まぶたを閉じて涼しさを感じているうちに、ふっと消えてしまいたい。

 そんな人生の終わり方が最高だ。
 

 「“分注”って、なんだか語感がディープキスみたいで面白いな」とぽやぽや考えたりしているうちに、こんな時間になってしまった。

 某申請書を提出し、実験をやり、論文を読む。久しぶりの日記だが、まあ以前とそんなに変わり映えしない生活を送っている。


 これを読んでいる皆さんは、自分が一番弱かったときのことを覚えているだろうか。

 一番弱かったときというのは、別に赤ん坊だったときのことを指しているわけではない。大体の幼児は、よっぽど不幸でない限り、親が付きっきりで面倒を見ていてくれるから、惨めな敗北感を味わう必要もない。つまり、私の言いたい「一番弱かったとき」とは、人生において一番負け続けていた時期のことだ。


 今日、御堂筋線の電車に揺られながら、本当の強さとは何かを考えていた。

 能力が誰よりもあることが、強いわけではない。実力があるのにもかかわらず、スポーツでも芸術でも、日の目を見ない人物はごまんといる。また、地位や名声、権力のある者が強い訳でもない。これらの属性はきっと、強さの副産物だ。もしくは、強さを培う土壌でしかない。


 では、本当の強さとは何かというと、「誰かに勝ち続けること」だと思うのだ。勝ち続けた者が、本当に強い者だ。

 裏を返せば、負け続けていると、人はどこまでも弱くなる。

 

 某申請書を書き終えた私は気晴らしに、かつて通っていた天満橋駅マクドナルドに向かった。ここは、私が人生で一番弱かった時期を過ごした思い出の場所である。いい思い出はないが、忘れ難い場所だ。
 店に入って、昔よく注文していたチキンバーガーとコーヒーを購入し、席に着いた。いまだに名前も知らない川に、街灯の光が揺らめくのが眼下に見えた。高校二年生の頃、いつもこの席でネット小説を読み耽っていた。そうしてハンバーガーを頬張りながら、昔のことを考えた。


 強さとは、勝ち負けで決まる相対的なものだ。部活も辞め、成績は最底辺を彷徨い、クソッタレなことが立て続けに起き、私は転がり落ちるように弱くなっていった。高校の偏差値は70ほどだったので、絶対的には弱者ではなかったのだろうが、ともかく所属集団の中で負け続けていると、本当にひどい目に遭うことが多くなる。
 あの頃の私は本当に弱かった。マクドナルドの席に座ってコーヒーを飲んで、ただ時間が過ぎ去ることを待つだけの木偶だった。そうしているのにも関わらず、何食わぬ顔で家に帰り、両親に「今日は学校で自習をしてきた」とホラを吹くのだった。抑圧と、卑屈さと、まとわりつくような甘さのコーヒーが日常を構成していた。


 あれから、6年半が経った。申請書の個人情報を記入するフォームに書かれてある「満24歳」の字が浮き立ったように見える。

 あの頃に比べて、私は確かに強くなった。それでも、人間はなかなか変われないもので、ハイストレスな状況が続いた日には、お腹を下したり、眠れなくなったりする。

 そういう弱い自分を受け止めてくれる人は、やっぱり自分自身しかいないので、そこそこに労ったあげたいと思う。

 自分を優しく労ってあげることは、思いのほか難しいのだから。

 

ブランド・ニュー・ワールド

4/2 晴れ


 超久しぶりの日記。御堂筋線で事故があったため、喫茶店に寄ってこのブログ記事を書いている。しばらく日記を書いてないうちにも、お尻から鮮血を噴き出して内視鏡検査を受けたり、23歳になったり、昨日には修士2年になってしまったりと、色々なことがあった。
 
 昨日、寝坊したので研究室に行くのを休んで、学振の申請書に載せる研究計画を練り上げるために論文を読み漁っていた。今年度から「研究者として必要な素質」等々、申請書において自己分析的な項目のボリュームが増したので、そちらのことについても片手間で考えていた。自分が研究者を志した理由や、そのために何をおこなってきたのかを思い出すために頭を捻っていた。こういう、自身の行動原理の「そもそも」を考えるとき、後付けの理由を気づかぬうちに生み出してしまっていそうで、すこし怖い。
 一年後の自分をまったく想像できないように、一年前の、経験したはずの自分ですら、想像することが難しくなってしまっている。この一年間、日記をあまりつけていなかったからだろうか。知らず知らず、自分を見失わないために、私は日記を盲目的に書き続けていたのかもしれない。


 研究者を志した理由の一つに、心地よく日々を過ごせる環境に身を置きたかった、ということがある。身体的な暴力や怒声を浴びせられるとすぐ泣き出すクソザコだが、それ以外の精神的なストレスには他の人と比べて強い。私はそういう、歪なメンタリティの持ち主である。なので、学部生の頃からアカデミアの空気は肌に馴染むということを薄々感じていた。
 実際、大学院に入ってから、すこぶる快適に生活することができている。その分、知らないうちに周囲の人々に負担をかけているのかもしれない、が。


 しかし、この修士の一年間で、アカデミアの違う側面を垣間見ることもできた。その側面とは、それぞれの研究者にも絶対に譲れない感情的な信念があって、時にはわかり合えないこともある、ということである。
 かつては、教養を深め他者への理解を追い求めれば、おのずと偏見や分断は解消されみんなハッピーに共に生きられるものだと、そう思っていた。この幻想に、小さな亀裂が入っていたことには、学部生の後半から気付いてはいた。だが、大きく幻想が打ち崩されたのが、この一年だった。
 どんなに素晴らしく面白い書籍や論文をしたためることができる人であろうと、学識深く平等と他者理解を唱えるリベラルな思想の持ち主であろうと、信念が異なれば対立し、罵倒のうちに関係が決裂することもある。そういう光景を修士1年で数多く目撃することができたのは、きっと私にとって幸運だった。何処まで遠くに行ったって、どんなに広い世界を眺めていたって、人間は変わらない。人間はやめられない。それがなんだか、嬉しかった。
 偏見や不理解はネガティブなものとは限らない。私にも、アカデミアに対する「公平で理知的である」という偏見と、「憧れ」という不理解があったのだ。きっと、こういう光のベールを脱がしたときに、物事は前へと進んでいく。思い返せば、ストレスなく日々を過ごすことより、「本当のこと」を見つけることの方がずっと昔から好きだった。私の原点は、きっとここにあるのだと思った。
 
 今日から研究室での新しい日々が始まる。昨日ゆっくり休憩したおかげか、体調はすこぶるいい。
 どんなに居心地のよい環境に身を置こうが、面倒なしがらみは起こる。きっと失敗することもある。そんなダメな私も、何年経とうが大きく変われないだろうし、私自身を辞めることもできない。

 それでも、一つ一つ丁寧にベールを捲って、「本当のこと」を見つけにいくことはできる。原点に立ち返って、一歩ずつ前に進んでいこう。

いんせいにっき

11/30 晴れ


 淀屋橋駅が人でごった返していた。どうやら、私の最寄りの隣駅で人身事故があったらしい。改札に向かって果てしなく人の列が続いているのを見る限り、今から並んでも電車に乗るにはかなりの時間がかかりそうだった。

 あまりにお腹が減っていたので、衝動的に餃子の王将に入って、ニラレバとビールを貪りたくなったが、鋼鉄の意思で我慢して、喫茶店でこの文章を書いている。餃子の王将でバカみたいな食事をバカみたいな量、バカみたいな顔で胃に放り込みたくなる時が、私にもあるのだ。


 そういう訳で、約4ヶ月ぶりのブログ更新である。大学院生になってから、日常のアレコレが尋常でなく忙しくなって、駄文を弄することすらできなくなっていた。

 日頃いろいろと考えることはあるのだが、Twitterは研究者の方に数多くフォローされ迂闊な発言ができなくなったので、陽の当たらないツイキャスでこうした鬱憤を連ねるダメな大人になってしまった。こういう大人に、中学生の頃はなりたくなかったのに。でも、餃子の王将で昼からビールを飲んでいる大人には、なりたかったかもしれない。羨ましいから。


 子供の頃、「中学生日記」というNHKの番組を時たま観ることがあった。そのドラマで、一つ記憶に残っているエピソードがある。

 ある華奢な体格の少年が行事のマラソン大会に参加するのだが、同級生に「お前がゴールするのは無理だ」とバカにされてしまう。しかし、目に見える電柱をゴールと思い込むことで、「もう少し、もう少し」と走り続け、ついにはゴールする、というあらすじだ。


 大学院生の生活は、マラソンと似ている部分がある。研究はゴールの見えない持久戦だ。ランナーズ・ハイになって、ゴールまでずっと全力疾走できる人もいれば、途中で身体と心を壊してしまう人もいる。

 私も積み重なるタスクに肺の空気を奪われながらも、口をパクパクさせながら走っている最中だ。そして、ようやく修士というフルマラソンの折り返し地点が遠くに霞んで見えてきた。

 しかし、博士課程後期まで進学すると、これが100kmのウルトラマラソンに変貌する。最悪、人が死ぬ。

 私は高校時代、学校から高野山までの100kmを30時間ほどかけて歩く行事を「ぐっすり眠りたいから」という理由で、60km地点で放り出してバスで熟睡した男だ。そんな堪え性のない人間だが、気づいたら大学院一年目の冬になっていた。博士に進学しても、今度は途中で眠りこけるようなことは、無いようにしたい。


 ともかく、大学院の生活は続く。新型コロナウイルスに振り回されたせいか、今年の時が経つのはいつもの比ではないほど早かった。

 「クロノスタシス」という現象の名前を最近知った。時計の針を眺めていると、止まって見える現象のことを指す言葉らしい。まったく、2020年にぴったりの言葉だと思った。

 

きのこ帝国「クロノスタシス

https://youtu.be/cCx4I4Fk5FE

 

 「もう少し、もう少し」と課題をこなしているうちに、あっという間に12月だ。クリスマスの予定も定まらない22歳。こういう大人に、中学生の頃はなりたくなかったのに。
 まあ、なってしまったものは仕方ない。「こんな大人も悪くないぞ」と、過去の自身に笑いかけられるような毎日を過ごしていこう。

 

コウモリにはなれない

7/12 曇り


 雨ばかりの日々が続く。もうしばらく、日の光を浴びていない。
 根暗な空模様のせいか、些細なミスで精神がヘタるようになってきた。そこで、「セントジョーンズワート」というサプリメントを飲み始めた。

 「セントジョーンズワート」とは、西洋弟切草のことだ。どうやら、軽・中程度の抑うつには効果的らしい(Google Scholarで調べればすぐにメタ分析の論文が出てくる)。しかも、20日分で600円ほど。とても安価だ。寝る前に半日分を飲んでから寝ると、これまで頭の中でネガティブな思考が堂々巡りしていたのが少しマシになった。

 弟切草は魔よけのお守りとしても、海の向こうでは用いられているらしい。そう見るとなかなかに縁起がいいのだが、花言葉は「迷信・敵意・恨み」と、仰々しい単語が並んでいる。きっと、「呪い」と書いて「のろい」とも、「まじない」とも読めるのと同じようなものなのだろう。

 


 近頃は「人間の想像力などあてにならないのではないか」と思うことが増えた。それは、今流行のBlack Lives Matter運動や、Twitterでの男女の価値観の違いなどを眺める時間が増えたからなのかもしれない。その他にも、COVID-19での「夜の街」に対するものであったりと、いくらでも想像力の欠如に関する問題を挙げることができる。

 単刀直入にいうと、「他者に対して想像力を呼び起こすことが、そもそも私たちにとって理不尽なレベルで困難なのではないか」という疑問が頭にこびりついて離れないのだ。


 哲学者トマス・ネーゲルの有名な問いに「コウモリであるとはどういうことか」というものがある。

 私たちは擬人的な見方で、つまり人間という視点から「コウモリであるとはどういうことか」をある意味では理解できるかもしれない。「虫が飛んでいる。食べちゃうぞ」とか。

 しかし、コウモリ自体の視点に立って、コウモリにとっての「コウモリであるとはどういうことか」を理解することは困難を極める。その理由は考えてみれば簡単で、人間はエコロケーション能力や飛行能力など、コウモリの意識体験を支える重要な要素を併せ持っていないからだ。また、コウモリが人間に比べて中枢がすごく小さいという、どうにもならない理由もある。ユクスキュル風に言えば、人間はコウモリが自身を取り巻く世界をどのように「理解」しているかを読み解くことすら難しい。ここでは、他者の意識体験理解の困難さは、主に生物学的な要因によって規定される。


 これに加えて、「他者を理解することの困難さには、生物学的な要因のみならず社会的な要因も関わっているのでは」と、ふと思うようになった。

 Black Lives Matter運動を例に考えてみる。これを読んでいる人のほとんどは日本人の黄色人種であり、ほとんどの黒色人種とは社会的に異なる状況下で暮らしているだろう。生物学的な差異はさておき(炎上するので触れない)

 


 ここで、飽きた。

 要は「他者への想像力が喚起される背景には、その他者に関連する経験の大小が深く関わっている」ということを言いたかった。


 「We are the world」を聴きながら、このブログを書いた。

 元々はエチオピアでの飢饉をきっかけに作られた曲らしいが、その歌詞とメロディは35年たった今でも色あせない。

 COVID-19が流行しているこのご時世、「We are the world」を再収録しようという動きもあるようだが、ウイルスの特性から歌手が集まることが難しく、進捗は芳しくないらしい。

 

 夏の夜は浅い。今日も弟切草を飲み込んで眠りに就こう。

 

ぼっちのグルメ

6/10 晴れのち雨


 梅雨の季節が始まった。雨の日は好きなのだが、あまりにも低気圧が続くと頭痛が酷くなり、なにも進捗が産めなくなる。

 程度を弁えて、梅雨には早々に過ぎ去ってほしいが、そんな人間の都合とは関係なく雨は降り続けるのだろう。『天気の子』でも同じようなことを作中の登場人物が言っていた。自然のそういう理不尽さは嫌いじゃない。マゾヒストなので。

 


 人生の面白さは、卒業した“童貞”の数で決まると私は考えている。要は、どれだけ初めての体験をこなすことができるか、ということだ。

 それに、新しい経験は海馬のニューロン新生や、メンタルヘルスにも効く。確かそういう研究があった気がする。

 小学生の頃から、私は初めての経験をするのが好きだった。学校からの帰りに、いつもと違う道を選んでみたり。スターバックスであらゆるドリンクをコンプリートしてみたり。

 たとえ、一般的な意味での“童貞”を卒業できていないとしても、私は初体験を他の人より沢山こなしてきた自負がある。これはもう、実質的に私はヤリチンである(?)


 つい最近も、私は初めての経験をした。大学の近くのタイ料理屋に訪れたのだ。

 適当にネットで大学周辺のグルメ情報を検索すると、その店が目に入った。このタイ料理屋には、「2016年度社会心理学会」という語がタグ付けされていた。

 私は大学1年生の頃、この学会にお手伝い役として参加したことがある。昔の私はいま以上に情報伝達が下手くそで、無理くりに言葉を口から捻り出したせいで意味が上手く通じず、ある先輩にこの学会で眉を顰められたことがある。本当に苦い思い出だ。


 ともかく、学会のタグに運命じみたものを感じたので、このタイ料理屋に行くことにした。長い坂を下ってしばらく歩くと、エキゾチックな外装の店が見えた。

 入店するといかにも優しそうな、目を細めた高齢の女性が案内してくれた。新型コロナの影響で出費をあまりせずお金が余っていたので、1700円のランチコースを注文した。


 最初に生春巻とサラダが届いた。生春巻を食べるのはこれが初めてだ。

 赤く、いかにも辛そうなソースに生春巻をつけて一口。見た目とは裏腹に、甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。もっちりした春巻きの食感に粘土のあるソースが相まって、とても美味しい。まるで生春巻にディープキスをされているようだった。ディープキス、経験したことないけど。


 次にトムヤムクンが机に並べられた。トムヤムクンのクンは“海老”、ヤムは“混ぜる”という意味があるのよ」と、穏やかな声で店主は説明してくれた。「じゃあトムは外国人ですか?」という私の茶々に応じることなく、店主は奥の方へ引っ込んでいった。少し凹んだ。ついでに、トムには“煮る”という意味があることを後で知った。

 トムヤムクンにはパクチーが乗っていた。パクチーが苦手な人は多いと思うが、私は得意だ。

 というのも、東京のホテルニューオータニに一人旅で泊まりに行った際、ビュッフェで腹がはち切れるほどトムヤムクンを飲んだことがあるからだ。最初にパクチーを口に入れたとき、シンプルにカメムシだと思った。トムヤムクン自体は美味しかったので、意固地になって何度もパクチーを食べていると、そのうちに慣れてしまったのだ。今では美味しいカメムシ程度にしか感じなくなった。

 この店のトムヤムクンはホテルで食べたものよりも酸味が強く、いかにもエスニック料理を食べている、という気分にさせられた。こちらの方が、私の好みだ。


 メインにグリーンカレーを食べた後、デザートがやってきた。仙草ゼリーの上にパイナップル・キウイ・ドラゴンフルーツが添えられていた。

 「仙草は、仙人の食べる草と言われているのよ」と、店主は先ほどと変わらない様子でウンチクを説いてくれた。駄々滑りしたから、嫌われたかと思った。よかった、嫌われてなくて。

 仙草とは、シソの仲間の植物である。以前台湾スイーツにハマっていたことがあるので、私は仙草の正体を知っていた。タイの仙人は霞でなくシソの仲間を食べるらしい。仙草ゼリーは、カレーやトムヤムクンといった辛めの料理で火照った身体を心地よく冷やしてくれた。

 


 オチというオチもなく、今日のブログはここまでだ。また機会があればグルメな文章を書いてみたいが、今後2週間はレポートや学会準備等で忙しくなりそうなので、それは叶いそうにない。

 落ち着いたら、またタイ料理屋に行きタイと思う。なんつってぇぇぇぇぇぇええええええええええええええあひゃひゃひゃひゃひゃひゃはyはyははははっっhっyは

ファッキンボーイ・ミーツ・ジーニアスガール

5/13 曇りときどき晴れ


 論文を書いたり、久保『データ解析のための統計モデリング入門』を積み重なった本の地層から掘り出して読み始めたり、そこそこ進捗を生めるようになってきた。しなければならないことや勉強したいことは沢山あるので、何気に忙しい毎日である。

 Scholar(学者)という語は、もともと古代ギリシア語で「暇」という意味だったらしい。大学院生は学者の卵であり、すなわち暇人の卵でもある訳だが、近頃は必要以上にセカセカしているので、どうやら立派な暇人として孵化はできなさそうだ。ある程度タスクをこなし終えて、無事暇人として生まれ変わることができたのなら、美少女の姿を脳のシワというシワに刷り込んで、一生その子についていこう。

 


 私は天才美少女が好きだ。かなり昔から、天才美少女に一度お目にかかりたいという願望がある。

 高校生の頃の日記を読み直したところ、その旨が書かれていて今更ながら驚いた。さらに内心に秘めたことを言えば、天才美少女に論戦を挑んで、全力を尽くしてなおボコボコに言い負かされたいという欲望を中学生の頃から抱き続けている。

 この欲望が、これまで満たされたことはない。悲しいことに、その原因は私にある。論争に全力で挑む度胸が無いのもそうだが、天才美少女に易々と会える環境に身を置けるほど、私自身に実力がないからだ(涙)。

 あとこれは余談だが、「天才美少女」でググるとトップに「天才美少女生徒会長が教える民主主義のぶっ壊し方」という本がAmazonに売られているのが出てくる。あんまり、天才美少女には民主主義をぶっ壊してほしくない。なんか、民主主義なんかよりもっと良いものをぶっ壊してほしい。NHKとか、通天閣とか。


 なぜ突然、天才美少女について語り始めたかと言うと、彼女らと真っ当に接することの出来る時間が、もう既に限られたものになっていることに気づいたからだ。私は今年で22歳。一方で天才美少女は15歳から22歳(個人の感想です)。このままボーッと「あー天才美少女に論破されたいな」と煙を巻いていたら、あっという間に30代、40代になってしまう。

 そうするともう、天才美少女と運良く巡り合えたとしても、オッサンになった私が彼女らに関わろうとすればセクハラだ。私はロジハラを彼女らから受けたいだけなのに。いつの世も、キモい願いを叶えるのは難しい。


 結局、天才美少女と巡り会うためには、自分自身が彼女らのお眼鏡に適うような実力を身につけるしかないのだ。そうすれば自ずと星は巡ってくる。孫正義財団のホームページに載っている人たちの経歴をヨダレを垂らしながら眺めるのはやめて、私も奮起して勉強をするのが吉だ。

 今日からベイズ統計の勉強を再開したのも、そんな理由がちょっとだけある。こういう薄汚いモチベで勉強したら、メチャクチャ学習が捗った。最高に最悪だ。


 実は、「天才美少女に会うために自分自身が賢くなる」という方法は、一種のパラドックスを抱え込んでいる。私が勉強するほど、天才美少女だと私が個人的に考える能力の閾値がドンドン上がって、結果として巡り会うことの出来る確率が下がっていくのだ。世間的に「天才」ともてはやされる東大生が、実際東大に入って才気溢れる人間と出会って意気消沈しているのを見ると、恐らく天才であることの閾値はそれを見る人自身の能力によって簡単に上下する。タブンネ

 これを避けるためには、「自分がさも秀才であるかのように見せかけるスキルだけを身に付ける」という方法があるが、これはなんか嫌だ。平常時でさえソフィスト気味なのに、これ以上フェイク野郎になってしまったら本当に歯止めが効かなくなる。

 濁った水の湖は往々にして深く見えるものだ。こういう手合いは何人もいて、実際に天才美少女を周りに取り囲んでキャッキャしている輩も見かけたことはある。だが、そうはなりたくないので、キィー! とハンカチを噛む古典的な悔しがり方をして、立ち去るしかない。


 今日の日記は、久々に取り止めのない文章を書けた気がする。実は、こういうバカっぽい文章は、新型コロナが跋扈しているような非常時には書くのが難しくなる。こんな文章が書けたということは、私のメンタルヘルスも向上して、日常が好転してきたということだろう。

 好転した気分をコネコネしつつ、天才美少女に出会える日を、首を長くして待っていようと思う。待ちきれなくなったら、アマゾンの奥地にでも天才美少女を探しに行こう。Amazonの奥地では、民主主義をぶっ壊す系の天才美少女にしか出会えないだろうから。