きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

ポケモンは変態!

9/30 晴れ

 

 実験実習が始まったり、一週間が終わったり。

 レポートの完成度が前の学期はクソすぎたので、今学期は頑張りたい。LAに知り合いもいることだし。

 個人的には、友人の中国人留学生にレポートの成績が負けていたのが未だにショックだ。

 「手抜きをしていた」なんて言い訳はもう通じない。これは私の怠惰である。

 編入試験の受験勉強とレポート期間が被っているが、どちらにも全力を注ぎたい。

 これでどちらもダメだったなら、私もそこまでの人間だったというだけの話である。

 

 私はポケモンが好きだ。

 初めてポケモンに触れたのは6歳の時であり、ちょうどその頃はルビー・サファイアが発売されていた。

 幼い頃の私はポケモンにとてもハマっていた。

 ポケモンだいすきクラブというインタネットサイトにアカウントを持っていたほどである。

 レックウザが好きすぎて、「レックウ」というニックネームで活動していたのも今となっては懐かしい。

 

 時間の流れとともに、ポケモンに手を触れることは次第に少なくなっていったが、高校生の頃に再びハマってしまった。個人的第二次ポケモンブームである。

 2回目のポケモンブームは、ネット対戦の廃人という形をとった。

 ゲームの持ち込み禁止の高校であるにもかかわらず、登校中も授業中もずっと卵を孵化させていた。

 最近は、ポケモン熱が冷めつつある。

 現在の好きなポケモンは、サーナイトブラッキートリトドンウルガモスである。

 強くて可愛くてエロいからだ。ポケモンを性的な目で見ないでください!

 

 ゲーム中、ポケモンは「進化」して、姿が変わったり、名前も変わったり、能力値が上がったりする。

 私は幼い頃から、ずっとこの「進化」という言葉に疑問を持っていた。

 現実の生き物はじわじわと進化するのに、こんなに急激に変化するものを「進化」と呼んでいいのだろうか、と。現実の法則をゲーム内にも当てはめるという、夢をぶち壊す鬼畜の所業である。

 現実とゲームの区別がついていなかった私は、ずっとポケモンの「進化」を奇妙に感じていた。

 19歳になった今、改めて進化の定義について調べてみた。

 

  1. 生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。(変異)
  2. そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝)
  3. 変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。(選択)

 

 どうやら、この3つの条件を全て満たせば「進化」と呼ぶことができるらしい。

 ポケモンの場合は、1はキルリアからサーナイトエルレイドに進化するし、イーブイの進化系を見るに、条件を満たすことができている。

 3も難しいが、ポケモンを生き物と仮定するなら、同様の種でも総合的に種族値の高い個体が生き残るはずであり、自然選択の影響は受けるだろう。それに、多少のパラメーターは育て屋さんで孵化させる際にも親から子に引き継がれる。

 問題は2である。

 ポケモンは卵を産むが、その子に親の形質は完全には受け継がれず、進化系の前の姿で生まれてくる。

 さらに、ポケモンの「進化」は同個体の成長によるものであって、形質の遺伝によるものではない。

 つまり、ポケモンの「進化」はただ姿を変えているだけで、子へと形質を遺伝させることを指し示してはいないのだ。

 ポケモンの「進化」により近いのは、昆虫などでよく見られる、蛹から成虫への変化が有名な、「変態」だろう。

 ポケモンは「変態」して、姿が変わり、強くなるのだ。

 ポケモンの「進化」は「変態」だったのだ。

 

 この間、ポケモンの新作であるウルトラサンを予約した。

 Z技だとか、メガ進化だとか、バトルのシステムは少し前の世代と見比べても、とても複雑化している。正直追いつけない。

 それでも私はポケモンが好きだし、「遊んでみたい」と素直に思える。

 まさか、図体がデカくになっても自分がゲームを、しかもポケモンをしているとは、小さい頃の私は想像もできなかっただろう。

 現在は、大人も子供もゲームを楽しむ時代である。

 まだまだ娯楽としてゲームは歴史的に新しいが、これからもゲームは人々を楽しませてくれるだろう。大きな喜びと少々の煽情を伴って。

2012年恐怖症

9/28 晴れ

 

 新学期が始まって一週間が経った。

 退屈していた夏休みとは違い、それなりに有意義に過ごせている。

 夏休みは本当に、自分以外人類の存在しないどこかの惑星のコロニーで知識を貪っている気分だった。

 新学期からは、いかにも「人間」している気がする。

 夏休みの間に、思考回路は相当こじれてしまったが、徐々に修正していきたい。

 

 私は幼いころ、2012年が怖かった。

 そのきっかけは、小学生の頃に「2012年に地球が滅亡するよ。そういうマヤ文明の予言があるよ」というテレビ番組を観たことだった。

 当時は、予言を心の底から信じるような純粋な少年だった私は、毎日布団の中で小さく震えながら日々を過ごした。

 2012年が怖すぎて、デジタル時計の20:12という時刻を見ることすら避けていた。数学の問題を解いていて2012なんていう答えが出ようものなら、そのたび頭が沸騰しそうになった。

 何が一体そんなに恐ろしかったのかというと、2012年に全てが滅亡するという理不尽、そしてその「よく分からなさ」が、私にとって、とても恐ろしかった。

 マヤ文明について調べてみても、暦が正確だったということ、建築技術が優れていたことしか分からなかった。それが余計に私の恐怖心を煽った。

 こんなにマヤ文明の技術が優れていたなら、予言は当たってしまうのではないか? 

 そんな疑念に、背筋が凍る思いをしたものだ。

 

 そうこうしているうちにも時間は経ち、2012年が訪れた。私が中学二年生の時のことである。

 2012年は私にとって、地獄だった。

 死刑宣告をされた囚人の気分で毎日を過ごした。学校ではできるだけ2012年のことを考えないように、ひたすら「とある」シリーズの学園都市に自分が迷い込む妄想をして時間を潰した。

 

 マヤ暦によると、12月22日に地球が滅びるらしい。この日をひたすら、ひたすら来ないように願ったものだが、無情にも12月が、続けて22日も来てしまった。

 

 その日、私はコタツに入ってテレビを観ていた。緊急事態にいち早く備えるためだ。

 テレビを死んだ目で眺めながら、ひたすら時が経つのを待つ。待った、ただ地球が滅びる時を。

 だが、現実はある一人の少年の盲信をたやすく打ち砕く程度には無常であった。

 ご存知の通り、何も起きなかったのだ。

 次の日、ミヤネ屋では宮根誠司が「いやー何も起きなかったですね」と笑顔を見せていた。

 私は唖然とした。

 テレビによって、数年間にわたるドッキリを仕掛けられたようなものだ。

 そこには視聴者も、ネタあかしの芸能人も、ギャランティーも存在しない。ひとりぼっちのドッキリ大作戦である。

 私の数年間ぶんの恐怖心に、無力感に意味はなかったのか。

 クリスマスを目前として、私の心中は安堵感と怒りが煮えたぎる闇鍋と化していた。

 番組はそのうちCMに移り、ケンタッキーの宣伝がリビングに虚しく響いた。

 

 私は転んでも、タダでは起きない男だ。

 全身擦過傷並みのダメージを受けながら数年間転がり尽くしたこの件でも、わずかながらの教訓を得て、静かに私は起き上がった。

 それは、「分からないことを分からないままにしておかない」ということである。

 確かに、分からないことは恐怖を生む。

 だから、人はこれまでこれらの神秘を解明するのに多大な尾金と時間を費やしてきた。

 私はとうの昔に滅びたマヤ文明より、現在の叡智を持つ人々を信頼した方が良かったのだ。

 思い返せば、その時代の学者は誰もこの予言に注目していなかった。

 こんな当たり前のことに気づくのに、貴重な少年の日々の大部分を費やしてしまった。大損である。

 今はそのツケを払うため、知識の収集に努めている最中である。

 2012年に対する恐怖のおかげで、私は知識を持つことの大切さを知り得た。そのおけげで、分からないことはすぐに調べるという癖が身についた。

 恐怖を感じるものに対しては積極的に知ろうと試みよう。マジで。

 

 今、2012年の予言は形を変えて、人々に、特に純粋な少年少女に恐怖を植え付けている。

 コンピュータが人間の知性を超えると言われている「シンギュラリティ」も、現代の予言と言っていいだろう。これも、よく分からないものだから恐ろしい、というタイプのものだ。

 だが、よくよく考えてみると、「知性」とは一体何なのだろうか。

 知性を計算能力とするなら、コンピュータはとっくに人間を超えているし、何かを製造するということについても、コンピュータが人間より優勢である。

 分からないことは、知るために調べなければならない。

 知ろうとするうちに、恐怖心はどこかへと去ってしまうだろう。こういった予言はたいてい、いい加減だからだ。

 私のように恐怖に震える子供が現れないように、正しい知識を小学生にも簡単に手に入るようにする。それが私のささやかな野望でもある。

 分からないことに翻弄される人々に勇気を与えたい。それが私の2012年に対する、雀の涙ほどの仕返しだ。

現 実 逃 避 

9/23 曇り

 

 夏休みが終わってまたすぐ休日。編入試験まで時間が少ないことに気づき、忙しく問題集を解く日々。

 英語の勉強方もわからない。心理学の勉強方法もわからない。小論文はもちろん、面接への対策も目処がついていない。

 これはダメだ。ダメなパターンだ。

 本を読みすぎたあまり、自分の無知を知りすぎて、どこからが知っていることで、どこからが知らないことなのか、境界線が非常に曖昧になっている。

 やばい。

 

 こういう時に限って宇宙や時間、空間といったスケールのデカイことを考えて、一人で勝手にビビっている。

 私は焦ると、スケールのデカイことを考えがちである。

 規模のデカさだけで俺をビビらせるな殺すぞ(理不尽)

 宇宙は私を試験には受からせてくれないのである。試験に受かるせることができるのは、私自身の勉学のみである。とほほ、なんと頼りないことか。

 

 こういう時は現実逃避したくなる。

 自分が永遠に受験生で一生を終えそうな錯覚を覚え始めたので、このままでは精神状態がおかしくなってしまう。

 むしろ一周回って真人間に戻ってしまいそうだ。そ、それだけはイヤだ! 

 

 現実逃避その1、昼寝。

 ノイズキャンセリング付きのウォークマンに、耳元でひたすら擬音語をロリボイスで囁かれるmp3ファイルをぶち込んだ。

 もはや私の快眠を妨げるものはいない。

 いざ動画を再生する。オォウ、なんという幸福感。

 体がなんだかふわふわしてきたぞ。さわさわ、ぺちゃぺちゃ、ころころ、かたかた、さわさわ、……グゥ。

 

 

 

 とはならなかった。

 聞いているうちになんだかロビンソンが変になってきた。

 ロビンソンがヤバい。

 私が音フェチなのがいけなかったのか。全身のふわふわ感が、ロビンソンに凝縮されていく感覚がする。

 私は音声を止めた。ロビンソンは落胆した。

 そうだ、これでいい。これで……。

 

 現実逃避その2、ゲームをする。

 持ち合わせのゲームがなぜかポケモンとマインクラフトしかなかった(他のゲームは金欠の際に全て売り払ってしまった)ので、私はマインクラフトを選んだ。

 ポケモンをするとさらにストレスがかかりそうだ。レート対戦に潜っても、私が休止していた間に切磋琢磨してきた廃人たちに滅多打ちにされる未来しか見えない。かといって通常プレイをしても、なんだか刺激が足りない気がする。

 マインクラフトの個人プレイには飽きたので、久々にマルチプレイをしてみることにした。

 適当にサーバーを入力し、潜入する。

 人間は挨拶が大切である。「hi」と、久しぶりにまともな挨拶をネット空間に投げかけた。最近は某ペンギン動画の影響で変な挨拶しかしていなかった。

 会心の挨拶である。だが、誰からの反応もなかった。

 プレイヤーは20人を超えていたのに。新参者だからだろうか? 

 私はすっかり拗ねてしまって、勝手に鉱物を掘り始めた。

 私は掘ることが好きである。掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り。

 

 マグマに突っ込んでダイヤ14個を失った。

 私の二時間が消え失せた。

 私はサーバーから退出した。

 

 アーーーーーーーーくそが。

 

 そして、日記を書いている今に至るわけである。

 

 現実逃避には失敗した。

 ロビンソンとマグマは無情な現実の写し鏡のように、私の現実逃避を真っ向から妨害した。

 現実とのガバディに敗北し、生命力をすっかり吸い取られた私は、普段通り文字の大海へと逃げ込んだわけだ。

 

 外は暗くなりつつある。

 1日を無駄にした、そんな無念感にすっかり心は覆い尽くされた。

 気晴らしに、スタバでほうじ茶フラペチーノを頼んだ。

 完全にキャラメルの味しかしなかった。私が味覚音痴だからだろうか。

 こうなると何故ほうじ茶フラペチーノを頼んだのか分からなくなってきた。

 もうこれ、キャラメルフラペチーノでも良かったのでは? 

 自由意志は私には存在しているのか?

 宇宙とは……? 

 

 宇宙はほうじ茶フラペチーノをちゃんとほうじ茶の味にはしてくれない。

 私のチンケな悩みの前では宇宙もアインシュタインもほうじ茶フラペチーノも、役に立たないのである。

 ほうじ茶フラペチーノはいつの間にか溶け、黒っぽい粒がカップの底に溜まっている。

 ほうじ茶フラペチーノの残りをストローで一気に吸い込む。ようやく、ほうじ茶の風味を少し感じた。

激動っぽい時代

9/21 晴れ

 

 久々に、ツイッターで知り合った人と話をした。

 話したことは多かったが、自分の頭の中で知識の体系化が未だに進んでいないことに気が付いた。まだまだ勉強不足である。

 この世の勉強するべき物事が多すぎる。不老不死でもまだ時間が足りないくらいだ。

 それほど、人間は複雑な生き物だということである。だからこそ挑みがいがある。

 

 最近ハードボイルドなことをするのにハマっている。

 タバコも吸えないのに喫煙可のオシャレ喫茶店へ行ったり、ビリヤードをしたり、夕日を眺めながら黄昏たりするのがマイブームだ。

 ただ、私にダンディズムが足りないので、端から見ればただの寂しい人である。

 私の心中は満ち足りている。俺が満足なら他人の目なんかどうでもいいんだよぉ!

 

 夕日を眺めながら考えた。今流行っているソシャゲも、いつかはビリヤードなどと同じハードボイルドなものへと変わってしまうのだろうか? 

 何となく、ダンディなおじさんがラブライブをしている様を思い浮かべた。あまりにも絵にならなさすぎる。

 でも、大昔の大学生がハマっていた娯楽が、現在ではオシャレなものと受け止められているのだし、可能性は無きにしも非ずである。

 回る回るよ時代は回る。CDやブルーレイディスクも、今のレコードと同じ扱いになってしまうのかもしれない。

 

 現在は「激動の時代」だとよく言われる。

 その言説の根拠は、インターネットの誕生だったり、グローバリズムだったりする。

 社会にも、「何となく『激動の時代だ』と言っときゃいいや」みたいな風潮が漂っている。

 しかし、過去を見てみると、今よりも「激動の時代」など腐る程あることがわかる。

 世界大戦はもちろん、戦後だって学生運動カルト教団、学校内や街の路地裏で暴力の嵐が吹き荒れる、文字どおり「世紀末」の世界が続いていた。

 それに比べると、災害は仕方ないにしても、2010年代は比較的平和な時期だと思う。

 学生は二次元コンテンツに入り浸り、路地裏は換気扇が所狭しと詰められ、MDやフロッピーディスクは過去の産物と化した。

 Lineがメールに代わり、SNSで誰もが常時繋がることができ、女子高校生は画面上でコアラになったり犬になったりする。

 戦争時には技術が、平和な時期には文化が発達するというが、最近はどちらも融合したような進歩の仕方をしているように見える。

 ともかく、人は荒れ狂う最新技術の波を上手く乗りこなしてきた。

 そのおかげで、それほど激動に揺さぶられることなく、それなりに平穏に生活している。

 現在を本当に「激動の時代」だと感知しているのは、一部の知識人のみだろう。

 何より、自分たちの生み出した技術のせいで、自身が震えているのだから、なかなかに滑稽なものだ。武者震いか何かかな?

 

 誰もが、自分たちの生きている時代を「激動の時代」と思いたがる。

 これは至極当たり前のことで、これだけ世界に人が溢れているのだから、何か事件やイベントの起きない日の方が少ないに決まっているのだ。

 だが、そのおかげで私たちは退屈せずに済んでいる。

 同じ日を繰り返したり、何も事件の起こらない日々が続いたりすれば、たちまち私たちは退屈になってしまうだろう。

 それに、誰もが「この時代は平穏だ……」と言い出す時代の方が気持ち悪い気がする。

 退屈せずに済むこの時代に、感謝=感謝である。

私の体罰体験記

 これは私がまだ高校二年生だった頃の話である。

 

 当時、私はヨット部で活動をしていた。

 高校一年生の頃に入部して以来、運動嫌いの私としては珍しく、それなりに上手く活動をこなせていた。

 二年生の始め、新しく高校に赴任してきた教師が、ヨット部の顧問として新しく加盟することになった。

 それがYである。

 YはS大学出身で、大学生の頃はヨットをやっていたらしい。

 彼は私たちと共に筋トレや走り込みをするなど、真面目な教師であった。

 最初は、部員の皆でYのことを歓迎していた。

 

 なぜかヨットに乗り込むと、人格が豹変する人が時々いる。それが何故だかはわからない。

 Yもこのタイプの人間だった。

 普段は真面目で柔和な性格だが、ヨットを操舵するときは気性が荒くなるのだ。

 

 ある日、同じヨット部員であるUが、Yに船上で暴力を振るわれたという話をふと漏らした。どうやら、ミスをした際にそれなりの力で頭を叩かれたらしい。

 私たち二年生はまだ操舵の練習中だったので、些細なミスをすることは多々あった。

 それゆえ、幼少期からのヨット経験者や顧問と二人乗りになって、彼らから教授を受けるというのが、私の所属していた部活での慣習だった。

 これまで、先輩や顧問に自分たちの誰かが暴力を振るわれたという話は聞いたことがなかった。

 

 そのうち、私にもYと共にヨットに乗って練習する日がやってきた。

 初めは順調だったが、徐々に私の動きに粗が見えると、彼は明らかに機嫌を損ねたような態度をした。

 しばらくして、船の方角を変えるターンを行った時、私とYのタイミングがズレてしまった。

 その瞬間、突如として彼は激昂し、私の胸グラを掴んで船の支柱へと体を叩きつけた。

 Yは何か叫んでいたが、それとは対照的に、私は心の底から冷めきっていた。

 

 私はそのうち、ヨット部を辞めた。

 建前上は「勉学のため」の行動であったが、実際はYによる体罰が部内に横行し始めていたことが原因だった。

 いつしか、Yは部内で陰口を叩かれるようになっていた。

 私は何も言わなかった。ただ、静かに部活を去った。

 

 教育者による暴力的な行為は生徒を破壊する。

 この出来事は、私の記憶にべったりとこびり付いている。楽しい出来事の方が当時は多かったはずだが、ヨット部のことを思い出す時、必ずこの出来事が始めに思い浮かぶ

 体罰に関わる記憶を、半永久的に悲劇的なものにするということが、体罰の恐ろしいところだ。

 彼は良かれと思ってこのような行為に至ったのだろうか。もはや、Yの意図など関係なく、私が部活を辞めたという事実が残るのみである。

 

 もしも、私が体罰に耐え部活を続けていれば、インターハイに出場できたということもあったかもしれない。そして、Yに後々感謝するということもあったかもしれない。

 だが、少なくとも現在の私は、その「もしも」を絶対に認めない。

 「愚かだ」と断言する。

 体罰による教育で誰かが成功したとしても、それは本人の資質のおかげであり、体罰のおかげではない。

 そうなのにも関わらず、体罰を行なった教育者は必ず体罰を肯定するだろう。これこそが成功への方程式だと。

 この善意の暴力こそが、私の最も恐れるものだ。

 

 現在、私がかつていたヨット部はインターハイで準優勝をするなど、輝かしい成績を収めている。

 それは、決してYのおかげではなく、アジア大会で優勝したという経歴を持つ才気溢れる生徒が入部してきたからだ。

 彼の八面六臂の活躍で、ヨット部の成績は保たれている。

 だが、Yは慢心するだろう。

 才能ある彼が卒業し、高校からの初心者で構成されたヨット部に再び戻った時が、その時の部員にとって最も危険な時期になるだろう。

 

 私を含む部員3人が、Yが顧問になってから部活から去ったという事実は、時間がどれほど経ったとしても、決して消えない。

 もはや、Yの動向を知るすべはない。大事件が起きないように祈るばかりだ。

 

君に巡り会えたそれって鬼籍

9/19 晴れ

 

 長かった夏休みも、今日で終わりだ。

 しばらく日記を書いていなかったが、この間は中学や高校の同級生と会ったりと色々忙しかった。

 本当は日記なのだから、このような出来事を書き綴るべきだとは思うのだが、日記を書くのにはそれ相応の体力を使うので、なかなか書けずにいた。

 日記に書くべきイベントが起こっても日記が書けず、そのようなイベントがない日は暇なので日記が書けるという、パラドックス的なことが起こっている。

 考えるだけで文字が自動入力されるようなインターフェースが早く開発されることを願う。

 

 最近、漠然とした不安に襲われていた。

 それは自分一人が世間一般からズレた進路を選択することの恐怖心から生じているのかもしれないし、最後の十代を過ごすにあたって、もっと充実したものに時間を費やした方が良かったのかもしれないという後悔から来ているのかもしれない。

 

 エリクソンという精神分析家兼発達心理学者の唱えた理論に、発達段階説というものがある。

 発達段階説によれば、私たちの年代でもある10代後半周辺で、「アイデンティティ VS アイデンティティの拡散」という危機が訪れるらしい。

 

 詳しく引用すれば、

 

 この時期の危機は 「 同一性 」 と 「 同一性拡散 」 。

 

「同一化」とはこれまでの見てきた段階 ・・・ 「 肯定的側面 対 否定的側面 」 を心の糧としながら乗り越え、統合してゆくことを示しています。
そして青年期の段階にはいると、その同一化されたものを土台にしながら、自らの自己を作り変えてゆく ・・・ つまり、 「 同一化 」 → 「 同一性」 を経ながらに自己価値を見出してゆく段階であると言えます。

 

この時期は、 「自分とは何か?」 「自分は何がしたいのか?」 「自分には何が合っているのか?」 「自分は何になりたいのか?」 ・・・ と言う様に、自分自身に気持ちが向けられる時期でもあります。 
また、 「自分が自分であると感じている自分」 を意識しつつも、 「自分が周りにどう映っているのか?」 とか、 「周りからどのように見られているのか?」 と言った事が気になり始める時期でもあります。

 

  ……だそうだ。

 要は、後悔も含めて自分の過去と向き合い、それを受け入れて将来のことを考えることが重要だということだ。

 だが、私はそれに対してなかなか踏ん切りがつかなかった。

 長いようにも短いようにも感じる自分の過去と、目前にある果てしない未来に足が竦んでしまっていたのだ。

 

 そんな時、たいていの人間は巡り合わせ良く、誰かからありがたーい言葉を貰うものである。それは学校の教師だったり親だったり、一般的には身近な人間だったりするものだ。

 しかし私の場合、ありがたい言葉を授けてくれたのは基礎英文問題精講だった。英語の問題集である。

 私が無心に英語を勉強していた時、

「The past and the future are only our means and the present alone should be our end.」

という一文に出会った。

 和訳すれば、

「過去と未来は手段に過ぎず、現在のみが我々の目的でなければならない」

となる。

 私はなぜか、この言葉にとても感動した。

 言われてみれば確かに、過去は変えられず、未来は何が起こるか全くわからないものだ。

 ならば、自分自身が過去に得たものや、他人を感化させるような自分の未来を自身で定義し、それらを武器に現在で闘っていくしかない。

 

 この考えは私の不安で曇った視界を明瞭にした。

 この時から、少しは気が楽になった。不安の素であった過去と未来が頼もしい私の武器であるかのように思えたからだ。

 ただ、この言葉は基礎英文問題精講の問題文である。贅沢を言えば、現実世界の人間から直接この言葉を授かりたかった。名言製造マシーンの美少女とかそこらにいないだろうか。

 

 この言葉を英語の問題集の一文のままにしておくのは勿体無いことなので、この文章の出典を調べてみた。

 どうやら、かの偉大な哲学者、ブレーズ・パスカルの言葉らしい。「人間は考える葦である」のパスカルである。

 調べてみれば調べるほど、パスカルの定理だったり、パスカルの賭けだったり、パスカルの三角形だったり、39歳で鬼籍に入ったにしては残した業績が多すぎる。

 

 かくして、私の励まされた言葉の裏にはしっかりと人間がいたことがわかった。それも世紀の天才である。350年という時を超え、この言葉は私にしっかりと届いた。

 パスカルとまではいかないにしても、私もそれなりに業績を残してみたいものだ。

 The past and the future are only our means and the present alone should be our end. 

 この言葉を胸に抱きながら、これからも今を生きていく。

 

きんこんぶろぐ一歳の誕生日

9/11 曇り

 

 喫茶店に行ったのが一昨日だと気づいて、驚愕した。まさに驚愕webである。

 喫茶店に行ったのが、遠き日のことのように思える。ついに、時間の経過がスローになり始めた。

 退屈になり、日々の変化も無くなると、時間の流れがとてつもなくスローになるのだ。これと同じ現象が春休みに起こって発狂しそうだった。

 果たして夏休みの終わりまで、私は精神的ダメージを抑えることができるのだろうか。残りSAN値と相談して、時々娯楽を挟みながら秋学期を迎えたい。

 

 今日でブログを開設してちょうど一年である。

 総記事数はこの記事を含めて84件だ。だいたい四日に一度はブログを更新したということになる。長ったらしい文章を書くことを、よくもまあこれほど継続できたものだと思う。

 「継続は力なり」とよく言うが、何の力が付いたのかは未だによく分かっていない。文章力や皮肉力だろうか? 

 

 パソコンに日記をつけ始めた頃の文章を読み返してみた。

 何度もこのブログで繰り返している通り、日記は思考のタイムカプセルだ。日記をパソコンにつけ始めた最初の記事は、ブログに未だ掲載していないことに気づいたので、ここに全文を載せておく。

 

 

 本日からMacBookを開く機会、そしてタイピングの練習をするためにも、こちらでも日記を書き込もうと思い立った。

 なんやかんや、日記を書く行為自体は1年以上も続いているので、三日坊主になることはないと思うが。

 

 「君の名は。」を見に行った。ぼーっとして見ていればいい映画なのだが、あいにく私は脳みそをこねくり回しながら鑑賞していたので様々な矛盾点が目に付いた。

 その他にも、映画の放映前の、他の映画の予告編などが流れる時間で、あからさまに若者世代向けの映画ばかりが予告されていたので、自分が経済の一部に組み込まれているような気分になって、嫌悪感を覚えた。

 

 これは今日気づいたことだが、最近映画を見た後に、しばらくその映画の物事について考え込んでしまう悪い癖が付いている。そういったことが積もり積もって考えることが多すぎて頭がパンク寸前である。キャパシティーオーバーにならないように注意したい。

 

 最近は隔月で書いていた日記を、なぜ突然再開したかというと、この映画に多少影響されたという事もあるが、何より自身が語るべきことが増えたと感じたからである。

 読書数は1400冊を超え、得た知識を定着させていくステップへと遷移するべきだと感じた。

 そこで、多様な学説・考えに惑わされないように、どこかに自分の思考を書き込んでおく必要性があると考えた。

 考えは放置しておくと、生もののように徐々に腐敗していくのは、以前の日記に書いたとおりである。せっかくの得た知識を活かすためにも、ほぼ毎日このページへと書き込んでいきたい。

 

 この日記を読み返すまで、自分が日記をつけていたのは思考をまとめるため、そしてタイピング能力を高めるためだということすら忘れていた。

 現在は、日記を書くために日記を書くという、目的と手段が奇妙に合成されたような状態に成り果てている。目的を忘れる時というのは、忘れたということ自体にすら気が付かないらしい。ついでに、読書冊数も4000冊に達しようとしている。

 こうして積み上げた一年間の日記の分量は、なんと11万文字を超えていた。

 文字数だけなら、長編小説一冊にも匹敵する。一年間で積み上げてきたものは、振り返ってみると、とてつもない分量になっていた。おそらくレポートなども含めると、20万文字はゆうに超えるだろう。もういっそ、物書きにでもなった方がいいような気がする。

 

 今日は同時多発テロから16年、東日本大震災から6年半、私が二十歳になるまで半年の、節目の日でもある。

 ブログはこれからも掲載し続けるだろうし、微量の閲覧者を楽しませたり、怒らせたりし続けるだろう。私の意志が続く限りは。

 

 まだまだ文章力も、その他いろいろも拙い私であるが、生暖かく次の一年も見守っていただければ幸いである。

 ハッピーバースデーディアー、きんこんぶろぐ。