きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

ぼくのなつやすみー祟殺し編ー:思い出は風に吹かれて

8/31 晴れ

 

 八月が終わる。というのに、何もイベントが起きなかった。

 私は意地でも日常に変化を起こしたがる人間なので、今日は梅田の喫茶店『YC』に赴いた。全席喫煙可能な、レトロな喫茶店である。

 オムレツサンドは、今まで見たどのサンドよりも卵が分厚く、中はとろけるように柔らかかった。

 セットで頼んだコーヒーも味わい深かった。コーヒーとともに、ミルクと砂糖がそれぞれ入れられたポットが合わせて3つ出てきたときは、あまりに高尚すぎて驚いた。

 これだけ盛りだくさんで900円ぽっきりである。副流煙を気にしない人にはオススメだ。

 

 こういう落ち着いた喫茶店でゆっくりとしていると、自然と幼少期の頃が思い浮かんでくる。

 幼稚園児の頃、私は好奇心に溢れ、潔癖症で、残虐な幼児だった。

 図鑑を読みふけり、集団の遊びに交わらず、ただ一人カメムシをすり潰して遊んでいる、そんなクソガキだった。

 私は俗にいう「恐竜博士」であった。太古の昔にロマンを感じ、まだ見ぬ世界の知識をその小さな頭に必死に蓄えようとしていた。

 また、レゴブロックにも夢中になっていた。そういう意味では、私は一人遊びの名人だったと言える。その形質は、今の私にも多少は引き継がれているように思える。

 

 小学生になっても、幼稚園児の頃の傾向はそのままであったが、好奇心だけはすり潰した昆虫の数と反比例するかのように減少していった。

 小学校の勉強内容がとてつもなく簡単に思えて、予習復習を行わなくとも100点が取れたからだ。予習復習の重要性を感じたのは、高校生になってからである。正直、気づくのが遅すぎた。

 退屈な授業が繰り返されるうちに、私は妄想に耽るようになった。特に「ひぐらしのなく頃に」の世界に入り込むという妄想を、昔の私はよくしていた。これだけで何時間も暇が潰せたものだ。

 小学生だった頃、私は習い事として水泳と体操を、小学六年生からは塾を掛け持ちしていた。進研ゼミもやっていたが、2年分ほどの確認テストを、赤ペン先生に送ることができないままでいる。興味が向かないことを後回しにしすぎたのだ。

 私の人生が大幅に狂い始めたのは、やはり小学六年生の頃からだと思う。

 塾に通い始めたことで、勉強時間が増えるはずもなく、妄想時間のみが増えていった。そして、ネットの魔境に触れ、一時期ネトウヨになったりした。ついで、精通もしていないのに、触手責めのエロ画像を好んで閲覧するようになった。

 

 結局、そんなことをしていたせいで、現時点での人生の4/5ほどをドブに捨てる羽目になった。

 こんな過去が肯定できるはずもなく、私は17歳から数え、現在生後2歳児の気分で日々を送っている。事実、ここ2年間の方が、それ以前の17年間を足し合わせたものよりも充実している。

 幼少期のまっさらだった頃の好奇心が盛り返してきているなど、最近は非常に調子がいい。

 

 幼少期に比べ、私が少しはまともになったのは、間違いなく日記と読書のおかげである。

 あの日、メモ帳を購入してペンを手に取った高校生の頃の自分。そして、大学の入学式が終わった直後、スーツ姿のまま図書館へと向かい、最初の二冊を手に取った過去の私に、心から感謝したい。あの頃の私無しに、今の私は存在しなかっただろう。

 日記と読書は間違いなく私の未来を広げてくれた。デカルトは「読書をし過ぎると異邦人になる」と言っているが、そもそも異邦人だった私には関係なかったのだ。

 

 こうして人生を回顧していると、気が付けば夕方になっていた。私は会計を済ませ、喫茶店を後にした。

 ビルの隙間から、晩夏の風が吹き抜けていった。誰かが、「夏の終わりの風は透明」と言っていた気がする。

 確かに先ほどの風は、冬のように肌を刺したり、真夏のように肌を焼いたりすることもなく、ただ肌に馴染むように通り過ぎて行った。

 そういえば、風を黒髪ロングの少女に擬人化した妄想もしたことがあったような気がする。さらに詳しく妄想の内容を思い出そうと試みたが、それは叶わなかった。

 過去の残り香を引き連れて、私は夕暮れの梅田の街を後にした。