きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

いんせいにっき

11/30 晴れ


 淀屋橋駅が人でごった返していた。どうやら、私の最寄りの隣駅で人身事故があったらしい。改札に向かって果てしなく人の列が続いているのを見る限り、今から並んでも電車に乗るにはかなりの時間がかかりそうだった。

 あまりにお腹が減っていたので、衝動的に餃子の王将に入って、ニラレバとビールを貪りたくなったが、鋼鉄の意思で我慢して、喫茶店でこの文章を書いている。餃子の王将でバカみたいな食事をバカみたいな量、バカみたいな顔で胃に放り込みたくなる時が、私にもあるのだ。


 そういう訳で、約4ヶ月ぶりのブログ更新である。大学院生になってから、日常のアレコレが尋常でなく忙しくなって、駄文を弄することすらできなくなっていた。

 日頃いろいろと考えることはあるのだが、Twitterは研究者の方に数多くフォローされ迂闊な発言ができなくなったので、陽の当たらないツイキャスでこうした鬱憤を連ねるダメな大人になってしまった。こういう大人に、中学生の頃はなりたくなかったのに。でも、餃子の王将で昼からビールを飲んでいる大人には、なりたかったかもしれない。羨ましいから。


 子供の頃、「中学生日記」というNHKの番組を時たま観ることがあった。そのドラマで、一つ記憶に残っているエピソードがある。

 ある華奢な体格の少年が行事のマラソン大会に参加するのだが、同級生に「お前がゴールするのは無理だ」とバカにされてしまう。しかし、目に見える電柱をゴールと思い込むことで、「もう少し、もう少し」と走り続け、ついにはゴールする、というあらすじだ。


 大学院生の生活は、マラソンと似ている部分がある。研究はゴールの見えない持久戦だ。ランナーズ・ハイになって、ゴールまでずっと全力疾走できる人もいれば、途中で身体と心を壊してしまう人もいる。

 私も積み重なるタスクに肺の空気を奪われながらも、口をパクパクさせながら走っている最中だ。そして、ようやく修士というフルマラソンの折り返し地点が遠くに霞んで見えてきた。

 しかし、博士課程後期まで進学すると、これが100kmのウルトラマラソンに変貌する。最悪、人が死ぬ。

 私は高校時代、学校から高野山までの100kmを30時間ほどかけて歩く行事を「ぐっすり眠りたいから」という理由で、60km地点で放り出してバスで熟睡した男だ。そんな堪え性のない人間だが、気づいたら大学院一年目の冬になっていた。博士に進学しても、今度は途中で眠りこけるようなことは、無いようにしたい。


 ともかく、大学院の生活は続く。新型コロナウイルスに振り回されたせいか、今年の時が経つのはいつもの比ではないほど早かった。

 「クロノスタシス」という現象の名前を最近知った。時計の針を眺めていると、止まって見える現象のことを指す言葉らしい。まったく、2020年にぴったりの言葉だと思った。

 

きのこ帝国「クロノスタシス

https://youtu.be/cCx4I4Fk5FE

 

 「もう少し、もう少し」と課題をこなしているうちに、あっという間に12月だ。クリスマスの予定も定まらない22歳。こういう大人に、中学生の頃はなりたくなかったのに。
 まあ、なってしまったものは仕方ない。「こんな大人も悪くないぞ」と、過去の自身に笑いかけられるような毎日を過ごしていこう。