きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

激動っぽい時代

9/21 晴れ

 

 久々に、ツイッターで知り合った人と話をした。

 話したことは多かったが、自分の頭の中で知識の体系化が未だに進んでいないことに気が付いた。まだまだ勉強不足である。

 この世の勉強するべき物事が多すぎる。不老不死でもまだ時間が足りないくらいだ。

 それほど、人間は複雑な生き物だということである。だからこそ挑みがいがある。

 

 最近ハードボイルドなことをするのにハマっている。

 タバコも吸えないのに喫煙可のオシャレ喫茶店へ行ったり、ビリヤードをしたり、夕日を眺めながら黄昏たりするのがマイブームだ。

 ただ、私にダンディズムが足りないので、端から見ればただの寂しい人である。

 私の心中は満ち足りている。俺が満足なら他人の目なんかどうでもいいんだよぉ!

 

 夕日を眺めながら考えた。今流行っているソシャゲも、いつかはビリヤードなどと同じハードボイルドなものへと変わってしまうのだろうか? 

 何となく、ダンディなおじさんがラブライブをしている様を思い浮かべた。あまりにも絵にならなさすぎる。

 でも、大昔の大学生がハマっていた娯楽が、現在ではオシャレなものと受け止められているのだし、可能性は無きにしも非ずである。

 回る回るよ時代は回る。CDやブルーレイディスクも、今のレコードと同じ扱いになってしまうのかもしれない。

 

 現在は「激動の時代」だとよく言われる。

 その言説の根拠は、インターネットの誕生だったり、グローバリズムだったりする。

 社会にも、「何となく『激動の時代だ』と言っときゃいいや」みたいな風潮が漂っている。

 しかし、過去を見てみると、今よりも「激動の時代」など腐る程あることがわかる。

 世界大戦はもちろん、戦後だって学生運動カルト教団、学校内や街の路地裏で暴力の嵐が吹き荒れる、文字どおり「世紀末」の世界が続いていた。

 それに比べると、災害は仕方ないにしても、2010年代は比較的平和な時期だと思う。

 学生は二次元コンテンツに入り浸り、路地裏は換気扇が所狭しと詰められ、MDやフロッピーディスクは過去の産物と化した。

 Lineがメールに代わり、SNSで誰もが常時繋がることができ、女子高校生は画面上でコアラになったり犬になったりする。

 戦争時には技術が、平和な時期には文化が発達するというが、最近はどちらも融合したような進歩の仕方をしているように見える。

 ともかく、人は荒れ狂う最新技術の波を上手く乗りこなしてきた。

 そのおかげで、それほど激動に揺さぶられることなく、それなりに平穏に生活している。

 現在を本当に「激動の時代」だと感知しているのは、一部の知識人のみだろう。

 何より、自分たちの生み出した技術のせいで、自身が震えているのだから、なかなかに滑稽なものだ。武者震いか何かかな?

 

 誰もが、自分たちの生きている時代を「激動の時代」と思いたがる。

 これは至極当たり前のことで、これだけ世界に人が溢れているのだから、何か事件やイベントの起きない日の方が少ないに決まっているのだ。

 だが、そのおかげで私たちは退屈せずに済んでいる。

 同じ日を繰り返したり、何も事件の起こらない日々が続いたりすれば、たちまち私たちは退屈になってしまうだろう。

 それに、誰もが「この時代は平穏だ……」と言い出す時代の方が気持ち悪い気がする。

 退屈せずに済むこの時代に、感謝=感謝である。

私の体罰体験記

 これは私がまだ高校二年生だった頃の話である。

 

 当時、私はヨット部で活動をしていた。

 高校一年生の頃に入部して以来、運動嫌いの私としては珍しく、それなりに上手く活動をこなせていた。

 二年生の始め、新しく高校に赴任してきた教師が、ヨット部の顧問として新しく加盟することになった。

 それがYである。

 YはS大学出身で、大学生の頃はヨットをやっていたらしい。

 彼は私たちと共に筋トレや走り込みをするなど、真面目な教師であった。

 最初は、部員の皆でYのことを歓迎していた。

 

 なぜかヨットに乗り込むと、人格が豹変する人が時々いる。それが何故だかはわからない。

 Yもこのタイプの人間だった。

 普段は真面目で柔和な性格だが、ヨットを操舵するときは気性が荒くなるのだ。

 

 ある日、同じヨット部員であるUが、Yに船上で暴力を振るわれたという話をふと漏らした。どうやら、ミスをした際にそれなりの力で頭を叩かれたらしい。

 私たち二年生はまだ操舵の練習中だったので、些細なミスをすることは多々あった。

 それゆえ、幼少期からのヨット経験者や顧問と二人乗りになって、彼らから教授を受けるというのが、私の所属していた部活での慣習だった。

 これまで、先輩や顧問に自分たちの誰かが暴力を振るわれたという話は聞いたことがなかった。

 

 そのうち、私にもYと共にヨットに乗って練習する日がやってきた。

 初めは順調だったが、徐々に私の動きに粗が見えると、彼は明らかに機嫌を損ねたような態度をした。

 しばらくして、船の方角を変えるターンを行った時、私とYのタイミングがズレてしまった。

 その瞬間、突如として彼は激昂し、私の胸グラを掴んで船の支柱へと体を叩きつけた。

 Yは何か叫んでいたが、それとは対照的に、私は心の底から冷めきっていた。

 

 私はそのうち、ヨット部を辞めた。

 建前上は「勉学のため」の行動であったが、実際はYによる体罰が部内に横行し始めていたことが原因だった。

 いつしか、Yは部内で陰口を叩かれるようになっていた。

 私は何も言わなかった。ただ、静かに部活を去った。

 

 教育者による暴力的な行為は生徒を破壊する。

 この出来事は、私の記憶にべったりとこびり付いている。楽しい出来事の方が当時は多かったはずだが、ヨット部のことを思い出す時、必ずこの出来事が始めに思い浮かぶ

 体罰に関わる記憶を、半永久的に悲劇的なものにするということが、体罰の恐ろしいところだ。

 彼は良かれと思ってこのような行為に至ったのだろうか。もはや、Yの意図など関係なく、私が部活を辞めたという事実が残るのみである。

 

 もしも、私が体罰に耐え部活を続けていれば、インターハイに出場できたということもあったかもしれない。そして、Yに後々感謝するということもあったかもしれない。

 だが、少なくとも現在の私は、その「もしも」を絶対に認めない。

 「愚かだ」と断言する。

 体罰による教育で誰かが成功したとしても、それは本人の資質のおかげであり、体罰のおかげではない。

 そうなのにも関わらず、体罰を行なった教育者は必ず体罰を肯定するだろう。これこそが成功への方程式だと。

 この善意の暴力こそが、私の最も恐れるものだ。

 

 現在、私がかつていたヨット部はインターハイで準優勝をするなど、輝かしい成績を収めている。

 それは、決してYのおかげではなく、アジア大会で優勝したという経歴を持つ才気溢れる生徒が入部してきたからだ。

 彼の八面六臂の活躍で、ヨット部の成績は保たれている。

 だが、Yは慢心するだろう。

 才能ある彼が卒業し、高校からの初心者で構成されたヨット部に再び戻った時が、その時の部員にとって最も危険な時期になるだろう。

 

 私を含む部員3人が、Yが顧問になってから部活から去ったという事実は、時間がどれほど経ったとしても、決して消えない。

 もはや、Yの動向を知るすべはない。大事件が起きないように祈るばかりだ。

 

君に巡り会えたそれって鬼籍

9/19 晴れ

 

 長かった夏休みも、今日で終わりだ。

 しばらく日記を書いていなかったが、この間は中学や高校の同級生と会ったりと色々忙しかった。

 本当は日記なのだから、このような出来事を書き綴るべきだとは思うのだが、日記を書くのにはそれ相応の体力を使うので、なかなか書けずにいた。

 日記に書くべきイベントが起こっても日記が書けず、そのようなイベントがない日は暇なので日記が書けるという、パラドックス的なことが起こっている。

 考えるだけで文字が自動入力されるようなインターフェースが早く開発されることを願う。

 

 最近、漠然とした不安に襲われていた。

 それは自分一人が世間一般からズレた進路を選択することの恐怖心から生じているのかもしれないし、最後の十代を過ごすにあたって、もっと充実したものに時間を費やした方が良かったのかもしれないという後悔から来ているのかもしれない。

 

 エリクソンという精神分析家兼発達心理学者の唱えた理論に、発達段階説というものがある。

 発達段階説によれば、私たちの年代でもある10代後半周辺で、「アイデンティティ VS アイデンティティの拡散」という危機が訪れるらしい。

 

 詳しく引用すれば、

 

 この時期の危機は 「 同一性 」 と 「 同一性拡散 」 。

 

「同一化」とはこれまでの見てきた段階 ・・・ 「 肯定的側面 対 否定的側面 」 を心の糧としながら乗り越え、統合してゆくことを示しています。
そして青年期の段階にはいると、その同一化されたものを土台にしながら、自らの自己を作り変えてゆく ・・・ つまり、 「 同一化 」 → 「 同一性」 を経ながらに自己価値を見出してゆく段階であると言えます。

 

この時期は、 「自分とは何か?」 「自分は何がしたいのか?」 「自分には何が合っているのか?」 「自分は何になりたいのか?」 ・・・ と言う様に、自分自身に気持ちが向けられる時期でもあります。 
また、 「自分が自分であると感じている自分」 を意識しつつも、 「自分が周りにどう映っているのか?」 とか、 「周りからどのように見られているのか?」 と言った事が気になり始める時期でもあります。

 

  ……だそうだ。

 要は、後悔も含めて自分の過去と向き合い、それを受け入れて将来のことを考えることが重要だということだ。

 だが、私はそれに対してなかなか踏ん切りがつかなかった。

 長いようにも短いようにも感じる自分の過去と、目前にある果てしない未来に足が竦んでしまっていたのだ。

 

 そんな時、たいていの人間は巡り合わせ良く、誰かからありがたーい言葉を貰うものである。それは学校の教師だったり親だったり、一般的には身近な人間だったりするものだ。

 しかし私の場合、ありがたい言葉を授けてくれたのは基礎英文問題精講だった。英語の問題集である。

 私が無心に英語を勉強していた時、

「The past and the future are only our means and the present alone should be our end.」

という一文に出会った。

 和訳すれば、

「過去と未来は手段に過ぎず、現在のみが我々の目的でなければならない」

となる。

 私はなぜか、この言葉にとても感動した。

 言われてみれば確かに、過去は変えられず、未来は何が起こるか全くわからないものだ。

 ならば、自分自身が過去に得たものや、他人を感化させるような自分の未来を自身で定義し、それらを武器に現在で闘っていくしかない。

 

 この考えは私の不安で曇った視界を明瞭にした。

 この時から、少しは気が楽になった。不安の素であった過去と未来が頼もしい私の武器であるかのように思えたからだ。

 ただ、この言葉は基礎英文問題精講の問題文である。贅沢を言えば、現実世界の人間から直接この言葉を授かりたかった。名言製造マシーンの美少女とかそこらにいないだろうか。

 

 この言葉を英語の問題集の一文のままにしておくのは勿体無いことなので、この文章の出典を調べてみた。

 どうやら、かの偉大な哲学者、ブレーズ・パスカルの言葉らしい。「人間は考える葦である」のパスカルである。

 調べてみれば調べるほど、パスカルの定理だったり、パスカルの賭けだったり、パスカルの三角形だったり、39歳で鬼籍に入ったにしては残した業績が多すぎる。

 

 かくして、私の励まされた言葉の裏にはしっかりと人間がいたことがわかった。それも世紀の天才である。350年という時を超え、この言葉は私にしっかりと届いた。

 パスカルとまではいかないにしても、私もそれなりに業績を残してみたいものだ。

 The past and the future are only our means and the present alone should be our end. 

 この言葉を胸に抱きながら、これからも今を生きていく。

 

きんこんぶろぐ一歳の誕生日

9/11 曇り

 

 喫茶店に行ったのが一昨日だと気づいて、驚愕した。まさに驚愕webである。

 喫茶店に行ったのが、遠き日のことのように思える。ついに、時間の経過がスローになり始めた。

 退屈になり、日々の変化も無くなると、時間の流れがとてつもなくスローになるのだ。これと同じ現象が春休みに起こって発狂しそうだった。

 果たして夏休みの終わりまで、私は精神的ダメージを抑えることができるのだろうか。残りSAN値と相談して、時々娯楽を挟みながら秋学期を迎えたい。

 

 今日でブログを開設してちょうど一年である。

 総記事数はこの記事を含めて84件だ。だいたい四日に一度はブログを更新したということになる。長ったらしい文章を書くことを、よくもまあこれほど継続できたものだと思う。

 「継続は力なり」とよく言うが、何の力が付いたのかは未だによく分かっていない。文章力や皮肉力だろうか? 

 

 パソコンに日記をつけ始めた頃の文章を読み返してみた。

 何度もこのブログで繰り返している通り、日記は思考のタイムカプセルだ。日記をパソコンにつけ始めた最初の記事は、ブログに未だ掲載していないことに気づいたので、ここに全文を載せておく。

 

 

 本日からMacBookを開く機会、そしてタイピングの練習をするためにも、こちらでも日記を書き込もうと思い立った。

 なんやかんや、日記を書く行為自体は1年以上も続いているので、三日坊主になることはないと思うが。

 

 「君の名は。」を見に行った。ぼーっとして見ていればいい映画なのだが、あいにく私は脳みそをこねくり回しながら鑑賞していたので様々な矛盾点が目に付いた。

 その他にも、映画の放映前の、他の映画の予告編などが流れる時間で、あからさまに若者世代向けの映画ばかりが予告されていたので、自分が経済の一部に組み込まれているような気分になって、嫌悪感を覚えた。

 

 これは今日気づいたことだが、最近映画を見た後に、しばらくその映画の物事について考え込んでしまう悪い癖が付いている。そういったことが積もり積もって考えることが多すぎて頭がパンク寸前である。キャパシティーオーバーにならないように注意したい。

 

 最近は隔月で書いていた日記を、なぜ突然再開したかというと、この映画に多少影響されたという事もあるが、何より自身が語るべきことが増えたと感じたからである。

 読書数は1400冊を超え、得た知識を定着させていくステップへと遷移するべきだと感じた。

 そこで、多様な学説・考えに惑わされないように、どこかに自分の思考を書き込んでおく必要性があると考えた。

 考えは放置しておくと、生もののように徐々に腐敗していくのは、以前の日記に書いたとおりである。せっかくの得た知識を活かすためにも、ほぼ毎日このページへと書き込んでいきたい。

 

 この日記を読み返すまで、自分が日記をつけていたのは思考をまとめるため、そしてタイピング能力を高めるためだということすら忘れていた。

 現在は、日記を書くために日記を書くという、目的と手段が奇妙に合成されたような状態に成り果てている。目的を忘れる時というのは、忘れたということ自体にすら気が付かないらしい。ついでに、読書冊数も4000冊に達しようとしている。

 こうして積み上げた一年間の日記の分量は、なんと11万文字を超えていた。

 文字数だけなら、長編小説一冊にも匹敵する。一年間で積み上げてきたものは、振り返ってみると、とてつもない分量になっていた。おそらくレポートなども含めると、20万文字はゆうに超えるだろう。もういっそ、物書きにでもなった方がいいような気がする。

 

 今日は同時多発テロから16年、東日本大震災から6年半、私が二十歳になるまで半年の、節目の日でもある。

 ブログはこれからも掲載し続けるだろうし、微量の閲覧者を楽しませたり、怒らせたりし続けるだろう。私の意志が続く限りは。

 

 まだまだ文章力も、その他いろいろも拙い私であるが、生暖かく次の一年も見守っていただければ幸いである。

 ハッピーバースデーディアー、きんこんぶろぐ。

 

ぼくのなつやすみー暇潰し編ー:Sキャラソムリエは今日も征く

9/4 曇り

 

 クラス発表があったり、彼女連れの某氏と遭遇したり、小さなイベントが相次いだ。

 ついでに編入試験の願書も出し終わった。あとは試験に向けて準備するのみである。英文読解に自信がないので、そこを重点的に勉強したい。

 自称東京で英語が一位のアキ氏に勉強法を聞いたら、「文法と平行で勉強すること」という返事がきた。慶應義塾大学からトロント大学へと編入した彼女の意見は参考になりそうだ。

 最近、トロント大学が東大よりもはるかに賢い大学だと知って驚いた。同級生が何人もこの夏季休暇中にトロント大学へと留学していたので、自分も将来はここに英語研修も兼ねて留学してみたい。

 

 今日、ツイッター菜々緒を見た。菜々緒といえば、Sキャラで自分を売っている芸能人の一人である。日焼けの跡が残る菜々緒の尻は、なんだか臭そうだった

 私は菜々緒のSキャラがあまり好きではない。「私Sでしょ!」と言わんばかりの彼女の言動には辟易させられる。Sキャラ自体は大好物なのだが……。

 私好みのSキャラは、やはり天然のものである。側から見てみればSキャラにはまるで見えない、むしろおっとりした性格のように見える人が時折毒舌を放つ。この瞬間にキュンと来る。

 

 Sキャラというのは幅の広いジャンルだ。

 いつもはツンケンしてる態度を取り、好きな人の前では態度が少し柔くなるツンデレ

 思ったことをストレートに言い過ぎてしまうがために誰かの心を刺してしまうクールキャラ。

 その人を好きすぎるあまり傷つけてしまうヤンデレなども、Sキャラの範疇に入る。

 Sキャラは口調・行動・性格など、その人物の特性や、誰かに対する感情によって定義される。

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 ↑ Sキャラ代表

 

 私がSキャラというのを嗜む時に、何よりも大切にしているのが、その人物の時間軸である。

 要は、Sキャラである現在や、Sキャラなるまでの背景、Sキャラとしての態度がどのように変容していくのかといったことを重視する。

 これらの時間軸が無視されたAVなどは、ただ売り出しのためにSキャラという特性を付属しただけであって、好ましいSキャラとは言えない。時間軸を無視したSキャラはただのサイコパスに成り果てる。

 私が菜々緒のSキャラを好まないのも、彼女にはSキャラとしての時間軸が欠落しているからである。

 

 Sキャラを考える際に、もう一つ大切なのが「どのようにSな行動を起こすのか」である。

 今日、SキャラのS行為は多岐に及んでいる。

 男に殴りかかる暴力系ヒロインもS行為の一種と捉えることができる。毒舌であることもS行為である。逆レ○プだってS行為である。

 

 どのようなS行為を起こす人物が好きか、といったことは一番個人差の大きいところだと思う。

 S行為が暴力的であればあるほどいい! という人は立派なドMである。唐辛子で言うならハバネロをパクパクと食べてしまうような人である。

 対照的に、ほんのり毒舌がいいな、と思っている人は、軽いMだ。ココイチで言うなら1甘をオーダーする人だろう。

 

 今日は久々に自分のフェチズムを語った。

 やっぱり好きなことを書いているときは筆が進む。いつもより段違いの速さでキーボードを叩くことができた。

 余談だが、私が好きなSキャラは戦場ヶ原ひたぎさんである。

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 彼女の特徴である、古風な女言葉から放たれる言葉責めは、まさに二次元最高峰だろう!!

 まるで、毒舌のエレクトリカルパレードやぁ〜〜〜! ヌッッッッッ!!!!

 ……ふぅ。以上、Sキャラについての日記でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  あと、食蜂操折も好きなSキャラの一人である。言葉責めを主体としたSキャラであり、洗脳能力持ちであることも加え、個人的なフェチズムの二段重ねである。出会えてよかった!! シコシコシコ、フキフキフキ、四国毒吹きッッッ!!!

 

ぼくのなつやすみー暇潰し編ー:エイリアン的キャンパスライフ

9/3 曇り

 

 気づけば、編入試験まで二ヶ月ほどになった。なので、最近は英文読解をしたり、心理学の基礎を固めたりしている。勉強ばかりの日々である。

 これほどのやる気を高校生の時に発揮できたなら、東大にでも合格することも不可能ではなかっただろう。あいにく、私は自分の興味のあることにしか能力を発揮できない人間なので、それは叶わなかった。

 心理学を勉強するのは面白い。好きなものに出会え、それを生涯の職にできるかもしれない環境に感謝する。それを実現することのできる自分自身の圧倒的な才能にも感謝である。

 自分に対する自信の方が周囲への感謝を大きく上回っているので、周囲への感謝をすぐに忘れてしまう。酷い悪癖だ。

 

 九月に入ってから、サークルの合宿や留学に出発した人を多くタイムラインで見かける。彼らは皆楽しそうだ。こういう写真などを眺めていると、自分の大学生活とは何だったのかという気分になる。

 私はサークル活動に没頭することもなく、留学に出かけて西洋諸国の雰囲気を肌で感じ取ることもしなかった。

 もちろん、サークルに没頭しなかったのには、広すぎる人間関係や集団行動が苦手だからという理由がある。

 留学に赴かなかったのにも、多大なお金がかかるということと、私にまだ外国で何かを得ることのできる感受性やスキルが備わっていないという理由がある。博士課程に進学する頃に、カナダかイギリスに留学したいという淡い思いも私の中にはある。

 ただし、それらの理由が私にとっては正しいものであっても、社会にとってはどうなのかという疑問が心中にわだかまっているのだ。

 

 私はかねてより、社会的に正しいという価値判断よりも、自分の価値判断を優先させてきた。実際そのことで後悔したことはないし、今後もそうであり続けるだろう。

 だが、それによって所謂『世間』からは、かなりズレてしまった。

 中二病的だと自分でも思うが、芸能人の結婚や不倫に全く面白みや興味を唆られなくなり、ほとんどの俳優の顔の違いがわからなくなった。

 近頃は「不謹慎」や「可愛い」の概念がわからなくなり、自分の価値判断を社会のそれと照らし合わせて語ることすら難しくなってきた。

 社会から見て、私の価値判断が相当狂ったものだというのは理解しているのだが、自分のこれを変えるつもりは全く湧かない。「自分の価値判断は正しいはずだ」という自負があるからである。めまぐるしく変化する社会に価値判断を委ねるよりは、自分自身に判断基準を設けておいた方が信頼できるからだ。

 しかし、所詮個人的な正しさであって、それは社会的には超マイノリティな考え方のはずである。人間は社会的な生物であり、社会との相互作用からは逃れられない。

 

 自分の大学生活は社会からしてみれば異質である。毎日読書に耽り、編入を志し、思想をネットに垂れ流すなど、一般的な大学生であるはずがない。

 「一般的」という言葉の恐ろしいところは、そのイメージに向かう引力が発生するところである。「そうあることが当たり前」という考えは、同調圧力にも似ていて、それに従わない者には凄まじいプレッシャーがかかる。

 人と違う生き方は辛い。それは自らの生活に共感を示すものがおらず、承認欲求に飢え、孤立した時間が多いからだ。

 私は今日も「自分はまだ進むことができる」という根拠のない自信を源にして勉強を続けている。自分の未来くらい、自分で定義をしたい。

 

 今日は日記を「賢者屋」というところで書いた。意識高い系の大学生がミーティングだのなんだのをするという学生限定のフリースペースだ。

 世界を変えるアイデアは大抵一人かコンビから生まれる、私はこうはならないぞ。

 そんな醜い闘争心を燃やしながら、今日も一人勉学に励む。

 

ぼくのなつやすみー祟殺し編ー:思い出は風に吹かれて

8/31 晴れ

 

 八月が終わる。というのに、何もイベントが起きなかった。

 私は意地でも日常に変化を起こしたがる人間なので、今日は梅田の喫茶店『YC』に赴いた。全席喫煙可能な、レトロな喫茶店である。

 オムレツサンドは、今まで見たどのサンドよりも卵が分厚く、中はとろけるように柔らかかった。

 セットで頼んだコーヒーも味わい深かった。コーヒーとともに、ミルクと砂糖がそれぞれ入れられたポットが合わせて3つ出てきたときは、あまりに高尚すぎて驚いた。

 これだけ盛りだくさんで900円ぽっきりである。副流煙を気にしない人にはオススメだ。

 

 こういう落ち着いた喫茶店でゆっくりとしていると、自然と幼少期の頃が思い浮かんでくる。

 幼稚園児の頃、私は好奇心に溢れ、潔癖症で、残虐な幼児だった。

 図鑑を読みふけり、集団の遊びに交わらず、ただ一人カメムシをすり潰して遊んでいる、そんなクソガキだった。

 私は俗にいう「恐竜博士」であった。太古の昔にロマンを感じ、まだ見ぬ世界の知識をその小さな頭に必死に蓄えようとしていた。

 また、レゴブロックにも夢中になっていた。そういう意味では、私は一人遊びの名人だったと言える。その形質は、今の私にも多少は引き継がれているように思える。

 

 小学生になっても、幼稚園児の頃の傾向はそのままであったが、好奇心だけはすり潰した昆虫の数と反比例するかのように減少していった。

 小学校の勉強内容がとてつもなく簡単に思えて、予習復習を行わなくとも100点が取れたからだ。予習復習の重要性を感じたのは、高校生になってからである。正直、気づくのが遅すぎた。

 退屈な授業が繰り返されるうちに、私は妄想に耽るようになった。特に「ひぐらしのなく頃に」の世界に入り込むという妄想を、昔の私はよくしていた。これだけで何時間も暇が潰せたものだ。

 小学生だった頃、私は習い事として水泳と体操を、小学六年生からは塾を掛け持ちしていた。進研ゼミもやっていたが、2年分ほどの確認テストを、赤ペン先生に送ることができないままでいる。興味が向かないことを後回しにしすぎたのだ。

 私の人生が大幅に狂い始めたのは、やはり小学六年生の頃からだと思う。

 塾に通い始めたことで、勉強時間が増えるはずもなく、妄想時間のみが増えていった。そして、ネットの魔境に触れ、一時期ネトウヨになったりした。ついで、精通もしていないのに、触手責めのエロ画像を好んで閲覧するようになった。

 

 結局、そんなことをしていたせいで、現時点での人生の4/5ほどをドブに捨てる羽目になった。

 こんな過去が肯定できるはずもなく、私は17歳から数え、現在生後2歳児の気分で日々を送っている。事実、ここ2年間の方が、それ以前の17年間を足し合わせたものよりも充実している。

 幼少期のまっさらだった頃の好奇心が盛り返してきているなど、最近は非常に調子がいい。

 

 幼少期に比べ、私が少しはまともになったのは、間違いなく日記と読書のおかげである。

 あの日、メモ帳を購入してペンを手に取った高校生の頃の自分。そして、大学の入学式が終わった直後、スーツ姿のまま図書館へと向かい、最初の二冊を手に取った過去の私に、心から感謝したい。あの頃の私無しに、今の私は存在しなかっただろう。

 日記と読書は間違いなく私の未来を広げてくれた。デカルトは「読書をし過ぎると異邦人になる」と言っているが、そもそも異邦人だった私には関係なかったのだ。

 

 こうして人生を回顧していると、気が付けば夕方になっていた。私は会計を済ませ、喫茶店を後にした。

 ビルの隙間から、晩夏の風が吹き抜けていった。誰かが、「夏の終わりの風は透明」と言っていた気がする。

 確かに先ほどの風は、冬のように肌を刺したり、真夏のように肌を焼いたりすることもなく、ただ肌に馴染むように通り過ぎて行った。

 そういえば、風を黒髪ロングの少女に擬人化した妄想もしたことがあったような気がする。さらに詳しく妄想の内容を思い出そうと試みたが、それは叶わなかった。

 過去の残り香を引き連れて、私は夕暮れの梅田の街を後にした。